2016年08月14日

科学祭を考える(5);日本の科学祭ネットワーク

 科学祭について考える5回シリーズ、その最終回は日本の科学祭ネットワークに関して考えます。
 明治期以降の日本では、国策による産業振興の流れで博覧会や見本市が盛んに行われるようになってきて、最近は見本市が殆どになりました。その一方で、理科教育の文脈で、その担い手同士のネットワークも地道な活動を続けており、その成果共有の場としての科学イベントが、博物館の特別企画や地域の科学イベントとして実施されてきました。その担い手同士をつなぐネットワークや拠点の一覧を概観してみます。

1)日本の理科教育ネットワークと博物館
 主なものを見てみましょう。全部を列挙すると膨大な量になるため、全体を概観できるサイトを主に挙げておきます。

<理科教育の学会関連>
日本理科教育学会
日本科学教育学会
日本物理教育学会
化学教育協議会(日本化学会教育普及部門)
日本生物教育学会
日本地学教育学会
・E-TOPIA(教育情報ポータルサイト) 日本の理科教育一覧

<博物館・科学館・水族館>
全国科学博物館協議会
全国科学館連携協議会
・国立教育政策研究所 主な博物館に関する全国的団体
公益財団法人日本博物館協会(全国の博物館一覧を記載)
・全国科学館連携協議会 加盟館の一覧
・ZOOMANIA(ズーマニア)
 全国の水族館一覧
 全国の動物園一覧
 全国の専門館一覧
・公益社団法人 日本植物園協会 植物園の情報

 全国津々浦々に、拠点は多数あります。これでも、恐らく全てを拾えていないと思われます。
 個人や市民団体の連合においても、例えば天文教育普及研究会日本初等理科教育研究会のように、独自でも活動しながら、加盟する個人や組織も熱心な取り組みを重ねている事例が多くあります。
 ただ、分野や担い手の枠を超えたつながりという面での厚みの差は、欧米の事例群との比較においてはどうしても出てきます。一連のネットワークはどこまでオープンで、そしてどれだけの成果を上げていて、その成果はどれだけ世に知られているでしょうか?

2)サイエンスアゴラ「広がりゆく科学のひろばの担い手たち」
 縁あって、筆者は 2013 年から、東京国際科学フェスティバルの実行委員を務めています。
 その取り組みとして、関係各位からの大きな協力を得ながら、科学コミュニケーションの祭典兼総合見本市であるサイエンスアゴラにて、日本各地の科学祭の担い手同士が相互に人的、知的に交流出来るための企画として、「広がりゆく科学のひろばの担い手たち」という企画を実行委員会として出展しました。

 それらの公式サイトへのリンクを以下に貼っておきます。
・2013 年の開催分(こちらを参照)
・2014 年の開催分(ブースと時間枠;こちらから報告書本文を参照)
・2015 年の開催分(ブース時間枠

 流れとしては、独自の単発というわけでもなく、サイエンスアゴラの黎明期に NPO サイコムのクレジットで実施した「広がる草の根サイエンスコミュニケーション」(2006, 2007 年の2度開催)と基本的には同じ考え方とデザインで組まれた企画です。
 構成としては、終日設置のブース出展と時間枠型の交流セッションの2段構えで、1つの企画にその両者がセットとなっている事例は、過去にも多くは無かったようです。ブース出展では、東京国際科学フェスティバルの基本理念と概要、開催報告に日本各地の科学祭の事例とその広がりを展開する展示をセットにしました。科学祭の事例群に併せて、過去に科学コミュニケーターの有志による連携互助組織である「横串会」がかつて担った“サイエンスカフェポスター展”のコーナーも、2013 年の開催では設けました。時間枠企画では、東京国際を含む5〜7ヶ所の科学祭による事例紹介と成果、問題意識の共有を図り、地域の枠を超えた連携活動の展開を視野に入れて、日本各地の科学祭同士のネットワーク化の端緒とすることを狙いにしました。

 2016 年のサイエンスアゴラでは、それが発展的に改組して、事実上の本部企画へと昇格し、以下のような形になりました。
・(ブース)広がりゆく科学のひろば
・(時間枠)サイエンスフェスティバルの担い手たちをつなぐ対話集会

 こうしてみると、日本の科学祭ネットワークは、国の助成を受けて始まった科学祭の担い手が主体となったボトムアップ式の連携として始まり、アメリカのそれに近い形で始まっています。ただ、国から連携そのものを打診されて始まったアメリカの場合とは異なり、地域で熱心な取り組みをする個々の担い手を紹介し相互応援するための地盤を築くことを当初から狙っていた点では異なるところもあります。

3)JASC 地域連携委員会とアゴラネットワーク
 2012 年1月に東京大学本郷キャンパスでの設立総会で産声を上げ、今年で5年目を迎える一般社団法人日本サイエンスコミュニケーション協会。そのプロジェクトの一つに「地域連携委員会」という組織があります。日本各地で行われている科学教育や科学の知識普及、価額を題材に含む対話や実践の場の設置と運営など、様々な科学コミュニケーション活動を地域密着型で進めている同法人会員のとりまとめと調査、研究、相互交流を図ることを目的にしています。
 これと併せて、その正体は未だに事実上不明なのですが、サイエンスアゴラを主催する科学技術振興機構の側で、各地の科学祭主催者や地域連携活動の担い手の方々をつなぐネットワークとして「アゴラネットワーク」なるものが形成され、動き始めているようです。

4)今後の展望
 第3期科学技術基本計画の策定により科学技術コミュニケーションの推進が国策となって以降、地域社会の中で科学の知識普及や理解増進、科学を題材とした対話や実践の場...それも、必ずしも科学の魅力や意義にとどまらず、陰の部分や負の側面への直視も含むもの...は徐々に増えてきています。かつて、日本の市民運動の文脈では、何かのプロジェクトや企業活動への批判や非難、反対運動といったものが支配的でした(それら自体が社会的に悪いものだというわけでは必ずしも無く、例えば四大公害問題や、企業活動のもたらす地域社会の影響としての健康被害問題や各種環境汚染などを社会に知らしめてきた功績は大きいと思います)。しかし、それらにとどまらず、科学の陰陽の両側面を大切にしていこうという動きは草の根レベルからでも着実に育っており、疫学調査への協力や防災教育の取り組みなどが、各地での科学縁日型イベントや地道な理科教育の実践と併せて、少しずつ増えてきています。
 このシリーズで再三述べてきたことに屋上屋を重ねますが、科学祭は、地域の枠で科学の魅力や意義を共有する営みを、祝祭の場として組み上げるような、科学イベントの有機的集合体です。そこには場の担い手が拠って立つ思想があり、その場に関わる人たちと思いがあって、それらが結びついて成り立っています。そして、その題材こそ科学ではありますが、大衆の科学理解増進(PUS)や市民の科学への関与の促進を通じた街興しとしての意味を超えて、その街興しの場には科学の専門家の社会参画の側面が色濃くあり、そして科学の専門家も専門分野以外の題材に関しては“素人”でもあるわけです。その場作りにおいて、専門知保持の非対称性が文脈依存的に時々刻々入れ替わることは普通にあります。その意味で科学コミュニケーションとしての科学祭の実践は、科学技術社会論において取り上げられ続けてきた PUS と市民参加の枠を超える営みとして、科学コミュニケーションそのものが本質的に持つ多様性や総花性をよく表現するものだと言えるでしょう。
 その左記の表現可能性は、必然的に科学祭という営みそのものの今後の可能性とも直結しており、よく言えば「何でもあり」にしていることによる理念的な危うさもある一方で、その「何でもあり」にしている“良い意味でのゆるさ”が異分野交流による文化的営みの新しい流れの源泉でもあるわけです。
 現状の科学祭が抱える課題として、各種芸術(造形、音楽、演芸など)との融合、低学力層や貧困層へのアクセスとその方法論、担い手の持続可能性、地域社会の特色の取り込み、地域の枠を超えた相互交流(人材、題材、既存の地域間交流との連携など)が考えられますが、それらも全て科学コミュニケーションの多様性や総花性に立脚した協調的創造から始まるものであるはずです。
 そうした厚みのある内容を、地域社会の中でどれだけ共有していけるかが、科学祭という営みの正否を左右しているのだろうと、筆者としては考えます。

 当会としては、科学祭や科学にまつわる地域連携活動に関しての実態調査や、それらの設計や運営に関する諸問題の実相に関する研究を、持続可能な範囲で細々と続けていきたいと思っています。
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2016年08月13日

科学祭を考える(4);世界の科学祭ネットワーク

 科学祭について考える5回シリーズ、その第4回は世界の科学祭ネットワークを紹介します。

 第1回でも少し触れましたが、現在の形の科学祭は英国で生まれ、世界各地に少しずつ広まっていて、典型的なものは英国、米国、日本、中国、豪州などで見られます。
 今回は、英国と米国における、科学祭の担い手同士をつなぐ互助組織を紹介し、そこからその2ヶ国の科学祭の実状を垣間見たいと思います。

1)英国
 さて、科学祭そのものの起源は比較的古い英国ですが、そのネットワーク化の動きは、実は比較的最近です。
 日本の日本サイエンスコミュニケーション協会(JASC)に相当する組織として、BIG(British Initiative Group)という団体があります。この BIG は科学コミュニケーション活動と手作り科学教育を守備範囲とする NPO 法人で、設立は 1992 年とまだ四半世紀ほど。その BIG の公式サイト中のこのページに、英国の科学祭の一覧があります。その総数は 34 あり、開催月毎のカレンダー形式で紹介されています。科学祭以外の内容も充実しており、全体を通読する価値は充分あります。
 この他、英国科学協会(BSA)による科学祭ネットワークとして UK Science Festivals Network という組織もあり、英国における国内各地の科学祭同士の緩やかな連合と相互発展を企図して活動しています。同団体は互助組織としての議論や能力開発のみならず、資金源や国政に対するアドボカシー活動も行っており、その展開は活発です。こちらにも英国各地の科学祭一覧があり、加盟する科学祭の総数は 32 にのぼります(一覧はこちらこちらに)。

2)米国
 米国で科学祭ネットワークと云えば、米国科学祭連盟(Science Festivals Alliance;SFA)が筆頭でしょう。
 その設立は 2009 年とかなり最近で、それまでは国内各地の科学祭自体の連携それ自体がなかったようです。元々、ある科学祭が政府の助成を得ようとした際に、単独の科学祭ではなくその連合体に対してなら助成する...という話になったのがきっかけのようで、その意味ではトップダウン型で形成されたと言えます。ただ、団体そのものはマサチューセッツ工科大学付属博物館の職員2名による任意団体で、その意味では草の根型の有志一同の延長にあるものとも言えます。2014 年現在で加盟している科学祭一覧は同年の年報に記載されており、その総数は 39(加盟者の協力する科学祭が6)にのぼります。一覧はこちら(同年版がこちらのファイル)にあります。

3)若干の考察
 英国では長い歴史のある科学祭も、地域社会への定着という観点に立つと、街興しイベントとしては恐らく後発組です。
 米国では科学祭の歴史自体が浅く、科学コミュニケーションそれ自体の重要性の認識自体が広まってきたのが前世紀末の 98 年以降で、米国史上初の科学祭の一つも 98 年に始まったようです(Wonderfest-The Bay Area Beacon of Science-...が該当)。
 何れも、国の助成を得て、大衆の科学理解(科学技術社会論の用語で、よく PUS と云われます;語源は Public Understanding of Science の頭文字)の文脈と、街興しを通じた文化的創出の両面から展開されており、そこに欧米では一般的な寄付の文化が載って持続可能性の源泉となっている場合が多そうです。
 そして、科学祭のネットワーク形成の歴史も科学祭そのものの歴史に比べれば浅く、その形成要因も英国はボトムアップ、米国はトップダウンという対比がありそうです。ただ、科学祭の担い手同士の連携に関する問題意識は恐らく元々それなりにあったと思われ、場作りの方法論に関する学びのニーズが自然発生的にあったものと推察されます。
 イベントそのものの知名度は恐らく高いと思われます。その傍証の一つになるであろう、こんな事情もあります。欧州では EuroScience Open Forum(ESOF;こちらを参照)が、米国では全米科学振興協会(AAAS)の年次総会が、各国で良く知られています。前者は欧州各国を隔年開催で、後者は北米各地を毎年開催で、何れも巡回して行われています。これらをモデルにしたイベントが、2006 年に日本で始まったサイエンスアゴラですが、ESOF を主催する EuroScience も米国の AAAS も NPO 法人であるのに対し、サイエンスアゴラを主催する日本の科学技術振興機構(JST)は国の独立研究開発法人(2015 年に独立行政法人から改組)です。
 そうした一連の事情から察するに、欧米では国策と共に市民や在野、科学研究や技術開発の当事者側の文化的な厚みがそれなりにあり、文化的営みとしての科学祭とその内容、華やかさ、持続可能性にもその厚みが大なり小なり影響している可能性が高いと思われます。しかしながら、個々の科学祭の発展そのものは地域の中で閉じており、地域の枠を超えた相互交流に関する意識は、近年になって高まってきたようで、その意識も文化的な厚みの中で徐々に醸成されてきたのかも知れません。

 第5回では、日本の理科教育と科学祭ネットワークの事情に触れて、全体をまとめます。
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2016年08月12日

科学祭を考える(3);日本の科学祭の源流

 科学祭について考える5回シリーズ、その第3回は日本の科学イベントの歴史と、その源流に関して考えます。

1)国際博覧会
 日本で科学祭的なイベントというと、多くの方が思いつくのは国際博覧会でしょう。
 江戸時代以前の内覧会的なものを除くと、1871(明治4)年の東京・九段下での大学南校物産会や京都・西本願寺での京都博覧会が、日本最古の博覧会で、その後明治〜大正〜昭和初期にかけての勧業博覧会(東京、京都、大阪、名古屋、仙台など)がそれに続きました。一連のイベントは産業振興の色合いが強く、工芸品や工業製品の展示が主な内容でした。
 時は流れ、戦後の高度経済成長期の真っ只中。1970(昭和45)年に大阪・吹田の千里丘陵で日本万国博が開催され、これが日本で初の国際博覧会でした。半年間の来場者数 6,421 万人は、北京万博が上回るまで、国際博覧会連合に記録のある中での史上最多記録でした。
 その後、日本で国際博覧会はこの大阪・日本万国博を含めて5つ開催されています。他の4者は、
・1975 年 沖縄海洋博
・1985 年 筑波・国際科学技術博
・1990 年 大阪・国際花と緑博
・2005 年 愛知・日本国際博(愛・地球博)
...です。

2)各地の科学イベントや見本市
 これと前後して、80〜90 年代の日本で博覧会ブームがおき、1978 年、1979 年の宇宙科学博覧会(東京・有明13号地;現在のお台場地区)、1981 年の神戸ポートピア 81、1987 年の未来の東北博覧会(宮城県仙台市)、1989 年の横浜博覧会 YES'89、同年の世界デザイン博覧会(愛知県名古屋市)など、列挙すれば一覧は膨大になります。とはいえ、バブル崩壊と共に博覧会も下火になり、1996 年開催予定だった世界都市博(東京・お台場)は当時の青島都知事の決断で中止となりました。

 これと違う流れで、国際見本市会場における内覧会や見本市が、栄枯盛衰を重ねながら、今に至るまで隆盛を極めています。経済産業省の資料に 2003 年以降の主な動向が、また日本展示会協会の資料に 1950 年代以降の簡単な歴史がまとまっていますが、科学技術になんらかの関係を持つ主な国際見本市を列挙すると、以下のような感じです。
日本国際工作機械見本市(JIMTOF)
東京モーターショー
FOODEX Japan
東京国際ギフトショー
CEATEC Japan
エコプロダクツ(→2016 年開催から「エコプロ」に名称変更)
 ただ、日本の見本市に関する統計資料は未整備のものが多く、且つその絶対数も少なく、業界団体内でも体系的に歴史から実態、今後の展望までを整理した例は余りないようです(筆者が知らないだけかも知れないので、ご存知の方はご教示下さい。筆者の知るものはこちらこちらこちらこちらなど)。

3)地域の科学イベントと理科教育
 これらと平行して、日本各地の科学館や博物館、地方自治体の施設では大小の科学イベントが多数行われており、小さなブースが居並ぶ「科学縁日」的なものから、拠点施設の特別企画として本格的な内容のものまで、実に沢山あります。
 その多くは、市区町村の中での広報や口コミなどにより、地域社会の中で開催が共有されるため、その全ての事例を拾い上げ、把握し整理するのは困難です。その一方で、有志の市民団体や企業の部署など、担い手は多様です。その担い手のごく一部を挙げておきます。

[市民団体]
NPO 法人 butukura(北海道札幌市)
サイエンスサポート函館(北海道函館市)
NPO 法人つくば環境フォーラム(茨城県つくば市)
ダ・ヴィンチクラブ(千葉県千葉市)
NPO 法人くらしとバイオプラザ 21(東京都中央区)
NPO 法人サイエンスリンク(東京都世田谷区)
科学読物研究会(東京都)
サイエンスホッパーズ(東京都杉並区)
北下浦みんなの家天体観測友の会(神奈川県横須賀市)
日立清水理科クラブ(静岡県)
kagaQ(愛知県名古屋市)
科学談笑喫茶室・理カフェ(大阪府)
NPO 法人科学の公園(福岡県福岡市)

[企業の部署]
株式会社リコー(東京都中央区)
 ;旧理研コンツェルンの一つ。サイエンスキャラバンは全国行脚。
株式会社ウェザーニュース(千葉市幕張)
 ;「そら博」と南極観測船しらせの管理、一般ユーザからの花粉データ収集など。
株式会社アイカム(東京都板橋区)
 ;科学映像で世界的には有名。独自のドーム映像プログラムで各地を行脚。
全日本空輸株式会社(東京都港区)
 ;沖縄のサンゴ再生の取り組み「チーム美らサンゴ」の事務局として機能。
エーザイ株式会社(東京都文京区)
 ;岐阜県の川島工園に「くすり博物館」を常設。日本有数規模。
サントリー株式会社(大阪府大阪市北区)
 ;多様な文化事業を展開し、その一つである水問題の取り組み「水育」が有名。

 因みに、こちらには日本の企業博物館の一覧があります。
 2013 年に企業博物館をテーマにした特別企画展が、東京・四ッ谷の帝国データバンク史料館であったそうです(こちらこちらも参照)。

 その他、日本各地の科学館、博物館に関しては、第5回で取り上げます。
 それ以外にも、各地の研究機関(例えば理化学研究所、産業技術総合研究所などの独立行政法人や研究法人、都道府県の各種試験所など)、工場や企業研究所などの一般公開も含めれば、地域の科学イベントの文脈で位置づけ可能なイベントの種類は多岐に渡るでしょう。

 こうした一連の拠点(企業博物館以外の、各地の博物館や科学館、水族館などを含む)の存在や、各種のイベント群の歴史を垣間見ていると、2つの大きな流れが見えてきます。一つは官民の産業振興、もう一つは科学の知識普及や理科教育の振興です。多くの博覧会や見本市は第1者、博覧会の一部や地域の科学イベント(科学館などによるもの)は第2者の性格が強いですが、筆者の観測範囲での実感として、90 年代後半以降は両者の混在を経て、企業側にせよ科学研究側にせよ、徐々に社会との対話や専門家の社会進出という文脈で理解できる取り組みが増えてきたように思います。
 その社会的認知が徐々に、しかし決定的に高まってきたのは、日本では 00 年代中盤以降であり、そのことには、やはり第3期科学技術基本計画において“科学技術コミュニケーションの推進”が掲げられたことが大きく効いていると思われます。

 第4回では、米英の科学祭事情に簡単に触れます。
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