2016年09月23日

生命操作の問題(6);何が問題なのか?

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、生命操作の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す限りで、6回分のエントリーを使って大雑把に整理してみたいと思います。

 最終目の今回は、過去5回分の記事を概観したうえで、何が本質的な問題であるのかに迫ります。

 まず、過去5回分の記事を概観してみましょう。
 第1回では、今回の主題である「生命操作」の語の意味を筆者なりに定義し、そこで想定される治療の方法論の成り立ちとその困難さについて、大雑把に考察しました。治療法開発の流れに関しては、医薬品開発をモデルケースとして論じ、他の治療法にも敷衍できること、治療法の社会実装に当たっては、患者との関係作りや、そもそも研究段階にあることに拠る不確実さの問題が難しさの本質であることに、それぞれ触れました。これらの概観だけでも、ある科学的知見が製品やサービスとして確立するという意味で「役に立つ」ことが如何に難しいかが分かりそうなものです。
 第2回では、「生命操作」や、医療現場での治療行為や病態の理解の基盤となる、生命科学の最先端のごく一部に触れました。時間の都合で分野の所在や扱う問題の一部、及びそれらの意義についての概観にとどまりましたが、如何にその裾野が広く、内容も奥深いかが、その分量だけからでも感じ取れることと、筆者としては思います。研究とひとくちに言っても多様で、臨床医療への道筋を辿っても、医療現場までの距離の遠近それぞれに知の蓄積があります。その積み重ねの一段一段と、積む段階、重ねる段階のそれぞれに、それを乗り越える難しさがあります。
 第3回では、具体的な題材群を7つ挙げて、実際の医用技術の開発や社会実装における現状と課題、論点を大雑把に整理しました。それらの全てに精通するのは困難であり、一つ一つの概観と整理だけでもそれぞれの分野ごとの専門家チームを要するほど、本来は大仕事です(というわけで、今回は各専門家チームの成果を有り難くつまみ食いしました)。この題材群のどれ一つを取っても、遺伝子や細胞、生体組織への外部入力による操作と、その科学的な体系、技術開発の原理、技術の社会実装、社会実装により期待される効果と生じうる問題点や価値衝突のセットが見て取れます。
 第4回では、医療の現場で「生命操作」の技術の効果を受ける存在としての患者と、技術を駆使する存在としての医療従事者の社会的な在りようについて考えました。20 世紀後半からの患者の権利拡大運動や医師患者関係の変容、医療従事者や患者それら自体の変容が、医療や医科学の進歩と平行している一面があります。それをこの拙稿でどこまで表現出来たか、筆者としては心許ないものがありますが、自らの身体を操作されることへの受容に際して、患者が医療従事者や医用技術をどこまで信頼できるかというのは、個別事例に限って具体的に考えても、なかなか難しい問題です。ただ、現在確立した標準医療であっても、どこかでデビュー戦が必ずあります。現在の最先端医療が将来の標準医療になれるかどうかは、研究開発段階にあればこそ、その予測の難しさがあります。
 第5回では、医療や医科学、その背後にある生命科学の研究において多々発生する関係性の発生と在りようの理想像を考える営みとしての、生命倫理や ELSI(倫理的法的社会的問題)を考えました。科学の成果の社会実装において一般によく言われることですが、科学研究でも技術開発でも「やって良いことと悪いことがある」わけで、何を根拠に誰がどう考え、その成果を社会でどう共有するかとなると、難しいところがあります。ことに「生命操作」の場合、伝統的な価値観と最先端科学の担い手の価値観には齟齬を来すことが少なからずあり、ブレーキとしての規範は必要であっても、進歩を止めることを選択肢に含めるとして、実際にある研究や開発を止めるのが“良い”のかどうかを自明には言えません。

 こうしてみると、ある生命科学の基礎的な科学的知見が、臨床医療の現場で治療法として結実するまでの間の道のりは、長く険しいものでことが改めて分かると思います。基礎的な生命科学の研究が知見として確立するまでの道のりだけでも、「本音で語る研究倫理問題リターンズ」のときに筆者が個人ブログで書いた記事の 3)、4) の項にあるように、長く険しいことが普通です。そして、基礎研究や応用研究を乗り越えた先の開発段階や実装段階にも、幾多の困難や新たに発生する問題が山積しています。
 そして、何故そうした問題が発生するかと云えば、そこで問題と向き合う人たちの真面目な思考と議論があるからだろうと思います。今回の連載でも随所にこっそり触れましたが、研究者、技術者、医療従事者の何れも、専門家の特質として“間違えたくない”わけです。この“間違えたくない”ことが、様々な問題の源泉となりうると思われます。
 そして、身体を操作される側の当事者である患者も、通常求めていることは、「症状の軽減、改善、若しくは除去」による「(それを望む場合の)生命維持」又は「生の充実及び質的な向上」であり、やはり“間違えたくない”わけです。
 ただ、医療行為そのものは、それが確立された標準治療であっても大なり小なり手探りではあり、その意味での不確実さは宿命としてあります。ましてや、最先端治療に近いところほどその不確実さは増します。最先端の医療行為は、未解決問題を大なり小なり含み、科学研究一般がそうであるように、ある種の不確実さを内包しています。

 そして何よりも基本的ながら忘れがちな事実として、研究者も技術者も、医療従事者も、患者も、みな人間です。
 その皆々が、それぞれの思いと取り組みに忠実でありながら、他の人たちの“役に立とう”と思って、忠実に生きているはずの存在です。専門家は他の専門家や社会、患者のために、患者は自らを必要としてくれる他の人たち(家族や友人、職場や社会活動の仲間など)のために、生きて何かをしているわけです。
 にも関わらず、なぜ様々な問題解決や課題達成の困難、価値衝突や事態の不整合が生じるのでしょうか?

 月並みな答えかも知れませんが、筆者が考えるに、“全体像を見えている人が少ないから”では無いかと。
 自分の属性(患者、医療従事者、開発に従事する技術者、生命科学の研究者、市民運動家、商工業界や行財政の人材、人文社会系の学識を持つ者など)以外の他の誰かが、本当のところどんなことを思い、考えているのか。そして自分の守備範囲のところで何が起こっているのか。それらを俯瞰しながら、自らの取り組みや立ち位置を認識することが、実は足りていない気がするのです。

 これまで「本音で語る」が取り上げてきたどの題材でも大同小異と筆者は感じていますが、今必要なのは対話を通じた問題意識の共有、それと他者に対する尊重に根ざした、学術的な意味での(個々の論点に関する)批判的検討では無かろうかと、筆者は考えます。

 そのための場を、筆者は多くの人と、手を変え品を変えつつ、持ち続けてきました。
 今年も、その場を秋に東京で持ちたいと思います。
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2016年09月22日

生命操作の問題(5);生命倫理は光明をもたらすのか

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、生命操作の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す限りで、6回分のエントリーを使って大雑把に整理してみたいと思います。

 5回目の今回は、医療を受ける当事者としての患者、医療を施す当事者としての医療従事者、医科学や医療技術を育む研究者や技術者の間に生じる関係のあるべき姿を考える術としての、生命倫理の可能性を考えます。

1)倫理とは?生命倫理とは?
 大雑把に言えば、「倫理」とは“人と人の関係、人と関係を持つ対象と人との間の関係のありかたを考え、その当為像を司る思考”の体系であると、筆者は考えます(誰かの受け売りであることは否定しません)。それを、個々人の生活や生命維持、生の営みの側面において考えるものが生命倫理であると言えるでしょう。学問領域としての発祥は 1970 年代の米国で、思想体系としては比較的新しいものです。
 特に、生の営みの在りようとして先鋭的に問題群が具現するのが医科学や医療技術、医療行為、及び生命科学の基礎及び前臨床の研究であり、それらの個々の場面における道徳的な問題を哲学的に考察することになります。それゆえ、分野横断的な学際領域であることが宿命付けられ、“思想の展開”と“実践”との結合をどう作るかの段階に本質的な難しさがあります。
 医療や医科学に関連した主な守備範囲は、以下の3つの論点群...
「医療現場における医師と患者の関係」、
「医学研究や生命科学研究における研究者と被験者(人とは限らない)の関係」、
「新しい医療技術や生命科学研究法がもたらす倫理的法的問題」
...と云って良いでしょう。

 参考になりそうなページを挙げておきます。
日本生命倫理学会
・京都大学 生命倫理学のあるべき姿
・文部科学省 ライフサイエンスの広場
 生命倫理・安全に対する取組こちらも参照)
・内閣府 総合科学技術・イノベーション会議
 生命倫理専門調査会
・東京医科歯科大 生命倫理研究センター
・大阪大学 生命倫理とは
・内閣府
 生命倫理の基本概念と 医学研究規制のあり方

2)ELSI 問題と医療
 生命倫理に関わる重要な歴史的事象群として、日本学術会議のある特別委員会の報告書は、以下の9つ...
「優性政策」、「戦時下の人体実験」、
「被験者の人権を無視した臨床研究」、
「臓器移植と脳死問題」、「薬害」、
「人工妊娠中絶」、「体外受精」、
「尊厳死・安楽死」、「医療過誤」
...を挙げています(敢えて文言を原文ママにしていません)。
 日本医師会では、より広範囲の問題群について体系的考察を展開しています(下記の「医の倫理の基礎知識」を参照)。

 1990 年代の米国では、ヒトゲノム計画の実施に当たり、その研究の遂行そのものや成果がもたらす社会的影響に研究者たち自身が問題意識を持ってきた経緯があります。特に倫理的、政治的な面からの問題意識が多く出され、最終的に NIH(米国国立衛生研究所)と DOE(米国エネルギー省)によるヒトゲノム計画の総予算のうち3〜5%が倫理的法的社会的問題(ELSI;Ethical, Legal, Social Issues)の研究に割かれることになりました。
 この ELSI は、文字通り生命や身体の取扱に関する“倫理的”“法的”“社会的”問題の総称で、今でこそ概念の拡張によりナノテクや先端技術の社会実装における問題群にも適用されるようになりましたが、科学研究や技術開発、科学技術の社会における実装や運用に関して、本格的な問題意識が自然科学の研究者業界レベルで公式に共有されたのは、恐らくヒトゲノム計画が史上初かと思われます(同等の充実ぶりを持つもっと古い事例があったら、どなたか御教示下さい)。

 この ELSI は、問題群の所在としてはいわゆる古くて新しいものです。しかし、その問題群の所在を認識する枠組みの出現において、科学技術、特に生命科学とその延長線上にある医科学、そして医療技術や医療行為のそれぞれの進歩が影響したという歴史的経緯があります。そのことが、ELSI に関連する取り組みの普及や発展にもまた、影響していると言えそうです。

 参考となりそうなページを挙げておきます。
・日本医師会 医の倫理の基礎知識
・京都大学 大学院生命科学研究科 生命文化学
・東大政策ビジョン研究センター 政策関連用語集
・ELSI 検討委員会
 オーダーメイド医療の実現プログラム
・日本科学者会議東京支部
 遺伝子操作時代の権利と自由

3)生命操作の生命倫理
 さて、それでは実際の生命科学の研究における先端技術としての遺伝子操作や細胞の加工、医療技術としての遺伝子や細胞の操作、医薬品や医療技術の適用、臓器移植や生殖補助技術の適用に当たって、何が問題になっているのでしょうか? クローン技術を例にとって、少し考えてみましょう。

 過去、少なからぬ市民団体が生命操作という語を用いて批判の対象にしてきた遺伝子操作技術として、生殖補助技術やクローン技術があります。クローンの生物学的な定義は「遺伝的に同一である個体や細胞、及び細胞の集団」で、哺乳類クローンの場合、成体の体細胞や受精後発生初期の細胞から採取した核を、除核した未受精卵に移植し、それを仮親となる雌の個体の子宮に入れて「妊娠」させることで生まれます。一種の人為的な無性生殖と言えます。
 1996 年のイギリスでのクローン羊「ドリー」の誕生と、その短命さは、多くの議論を巻き起こしました。科学的な側面に限っても「体細胞の核移植法の確立」という進歩の陰で、遺伝子のテロメア領域が通常の繁殖の場合より短いことと寿命との関係という新たな知見を生み、技術としての新たな困難に直面することにもなりました。その技術の倫理的側面を見れば、羊と同じ哺乳類であるヒトにこの技術を適用することによる、人間の個人としての尊厳を侵害する可能性や、家畜動物の細胞や遺伝子の操作による加工それ自体が自然の摂理に反した人類の独善や我が侭であるとの主張など、負の側面に関する言及が多く出ています。クローン技術そのものには、農林水産業における衣食住資源の安定供給、医薬品の製造、希少動物の保護や再生、実験動物の確保など、(それを求める人たちにとっての)意義や期待もかけられており、クローン技術の是非を巡る議論には、クローン技術そのものやその社会実装が内包する、正負の両側面の価値衝突があります。

 多くの生命科学の研究や技術開発、医療技術の開発においては、成体由来の生きた細胞や組織を用いることに対する期待と違和感、生来の身体を人為的に弄ることに対する期待と違和感の衝突が至るところで見られます。構図として大同小異なので、ここでは詳述しませんが、先天的な運動障害や感覚機能障害、後天的な運動機能及び感覚機能の喪失を、外部装置により回復するロボットスーツや埋め込み型の機器(人工網膜、人工内耳など)の普及活動においても、「機能回復」という加工そのものへの違和感(例えば患者自身による不受容の意思表示、装着に伴う副作用など)や、必要以上の機能増強の是非の問題が云われています。この左記最後者の“必要以上の機能増強”はエンハンスメント問題(身体増強問題)として一部で熱心に議論され、医療を外れた場面でも、リオ五輪に義足の選手が出場することの是非が話題になりました。

 参考になりそうな書籍やページをご紹介します。
・青土社 バイオ化する社会(粥川準二)(こちらも参照)
・種村 剛 生殖技術(reproductive technologies)
・ディスカバー21 予定不調和(長神風二)
・社会評論社 エンハンスメント論争
・NHK 出版 いのちをつくってもいいですか?(島薗進)

4)誰が倫理を論じるのか?
 ところで、この倫理的側面や ELSI 問題は、誰が問題にし、誰が議論しているのでしょうか?

 これまでの科学技術社会論、生命倫理学、科学哲学などの研究の最前線や、一連の問題に取り組む市民運動の活動において、問題提起や議論の展開をしてきたのは、人文社会系、特に思想研究や哲学の方面の方々(と、その背景を持つ一般の市民)が多く、科学研究の経験を持ちながらもその最前線を離れた方々がこれに続くようです(本当はこのことは文献計量で確かめるべきでしょうが、今はその余裕が無く、筆者の見聞と人生経験による予想でしかありません)。筆者の知りうる限りの話にはなりますが、科学研究や技術開発の最前線に実際に従事する研究者や技術者、臨床現場にいる医療従事者、医療の場や日常生活にいる患者が、自らこれらの問題について考察し、議論を展開している例は、最近増加傾向ながら、少数です。フィールドワークの題材として、これらの方々とその見解が取り上げられるのが精々だったと思われます。
 意識の高い研究者や技術者、医療従事者や患者が、それぞれの持ち場の中の連携で、或いはその枠を超えて、ELSI を含む倫理問題に取り組んだ事例は、古今無いわけではありません。しかし、その動きが本格化したのは、今世紀になってからというのが恐らくは実態です。

 ELSI の議論にあたり、その当事者の声が議論に反映されることは重要です。
 科学研究のあり方を科学者の自律的制御だけに任せずオープン化しようと云う流れがあり、医療でも医師患者関係の変容に伴い、やはりオープン化の流れがある中で、倫理問題も当事者と人文社会系の研究者との連携によりオープンに議論されることが求められていくでしょう。ただ、その場の在りようによって、人文社会系研究者の思想的、学術的な議論と、当事者(研究者や技術者、医療従事者や患者)の思いや置かれた現状のかみ合わせが必ずしもうまくいっていない場合も、少なからずあると思われます。だからこそ、例えば東北メディカル・メガバンク機構東京大学 GCOE の研究拠点形成なども、それらの ELSI の取り組みには存在意義があろうものと考えられます。

 次回の第6回では、一連の議論をまとめます。
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2016年09月21日

生命操作の問題(4);患者団体や当事者の存在

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、生命操作の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す限りで、6回分のエントリーを使って大雑把に整理してみたいと思います。

 4回目の今回は、実際の医療を受ける当事者としての患者や医療従事者の存在に向き合います。
 ともすれば、医療従事者は患者の生命維持や生活の質の向上、病態の除去の助力をするための存在で、患者はその助力を受ける存在、即ち医療従事者がサーバントで患者がクライアントであることが医療の全てと思われがちな節がありますが、必ずしもそうではないことを理解するのが目標です。
 その構図の中のどこかに、実は医科学研究や医療技術開発の当事者の入る余地も、最先端に近い医療になればなるほど、入ってくるのです。

1)医療の理想像の変遷
 古代の呪術医や近代以前の思弁的な伝統医療の頃はさておき、近現代の医学において、医療の専門家として科学的な専門知に基づき医療行為を行うという医療従事者(特に医師)のモデルが確立したのは、実は 19 世紀後半のことです。しかしながら、古代や近代以前から「呪術者」「知識人」「研究者」「技術者」「援助者」の5つの立場を巧みに使い分けてきた医師の在りようは、その医療行為における患者との接点において、今なお大なり小なり残っていると言えます。
 その影響ゆえ、専門知や現場知、及びそれらを駆使する術の総体を、それらを必ずしも知らない存在である患者に提供する医療従事者の行為としての医療は、科学コミュニケーションの用語で云う「欠如モデル」的なものとして長く続いてきました。とはいえ、患者とひとくちに言ってもその構成員は多様で、何かの専門家がたまたまその医療行為におけるクライアントで居るだけと云う他無い場面も多く、他方で 90〜00 年代から社会問題化した各種の医療事故や、世界各地で起こってきた患者の意識向上なども影響し(担い手の例は幾つもありますが、米国の NCPIE=全米患者情報教育協議会を例に挙げておきます)、「患者の権利」の顕在化を経て、医療行為を医療従事者と患者が共に作っていくという考え方が普及してきています。ただ、それは、医療倫理における医療従事者の責務として、標語的に言及されてきた文言(「ヒポクラテスの誓い」や「世界医師会ジュネーブ宣言」など)の実践的な再発見としての意味も持つでしょう。
 また、医療の需要や疾病の社会構造も変容しつつあり、社会の高齢化や慢性疾患の増大、先天性疾患への理解の漸進などにより、「絶対治療・絶対救命」から「現状とのギャップの改善」へ、「治療のための一時的な行為」から「病や体質と向き合う人生の支援」へ、即ち「治す」から「支える」へと、医療行為の重点的な意味合いが変わってきています。
 そうした観点に立つと、やや強引ですが、医療従事者は一般に、自らが何かの専門家でありながら、同時にある専門家と非専門家の間をつなぐ科学コミュニケータとしての立ち位置を持つと言えそうです。例えば、看護士や薬剤師なら、医師と患者、医師と製薬企業、検査技師と患者、医科学者と他の医療従事者をつなぐなど。そうした繋がりの場の集積が、全体として医療行為のシステムを作っていると考えられます。

2)進歩した医学、医療における患者と医療従事者
 医療や医学の学術的、技術的な進歩の存在に関しては言を俟たないところで、その最先端に関連するところはこのシリーズの第2回第3回で触れました。
 その中で、実際にそれぞれの持ち場を担う存在としての、生命科学研究者、生命科学以外の基礎科学の研究者、生体医用工学などの応用分野の研究者、医用技術の開発や社会実装を担う技術者、実際の医療現場で患者と相対する医療従事者としての医師(歯科医師を含む)、看護士、薬剤師、介護福祉士、各種療法士などは、それぞれの専門性を持ちながら、個々の持ち場で責任範囲の仕事を果たして、全体として医療や医科学の構成に寄与しています。
 ただ、丸山真男のいう「タコツボ型とササラ型」を持ち出すまでもなく、その全体像の中で自らの守備範囲を自覚しつつも、他のセクタと積極的に人的、知的、業務的に交流や連携などしている事例は、あればニュースになるような状態と云って良いでしょう。元々、チーム医療の概念が本格的に提唱されたのが 2010 年。医療法改正で薬剤師が医療従事者の扱いになったのが 1992 年。医療業界内での異業種連携それ自体の重要性が認識され、それが形になってきたのはつい最近のことと云って良さそうです。
 そして、実際の医療行為を受ける存在としての患者は、古くは専ら専門家からサービスを受ける存在であり、その選択権はほぼ専門家に委ねられてきました。近年になって、「チーム医療」や「地域医療」(→筆者には、さして意味のある概念とは思えませんが)などの言葉が踊る中で、患者中心の医療という考え方が徐々に普及してきており、診断を下したあとの治療方針の決定に際しては、医師が方針の選択肢を複数提示し、その中で患者が希望するものを選ぶことが、一般化しつつあります(勿論、昔ながらのいわゆるエラ医者が幅を利かせている事例も、まだまだ根強く残ってはいますが)。
 ただ、そうした医療現場における医療従事者と患者の関係の変容において、提示される選択肢が患者にとって満足できるものであるかどうかとなると、一筋縄ではないものもあるでしょう。医療従事者もピンキリなら、ひとくちに患者と言っても多様で、医療従事者が最先端の、又は比較的新しい手法を採用するか否か、患者がそれを希望するか否か、そのために必要な情報を医療従事者側が提供できるか否か、患者側にそれらの情報を咀嚼できるだけの下地があるかどうかにより、自ずと個々の場面はカスタマイズされたオーダーメイド型にならざるを得ないでしょう。

3)主な患者団体
 医療における手技や物質(治療薬、検査薬、医療器具及び衛生用品など)を供される存在としての患者は、左記の通り多様性を内在する社会的存在です。ただ、その患者なる存在になるにあたり、先天的か後天的かを問わず、同じ疾患に似た原因、異なる原因で辿り着く他の方々の存在は無視できないところです。自らの生と積極的に向き合いながら生きていける強さを持つ方々ばかりでもありませんが、精神的な苦悶の状況を乗り越えて、病気や怪我、障害などを受け入れて生きている人も多く存在し、そのうち一部の篤志の方々が同じ境遇の方々と繋がり、互助的組織を立ち上げて、継続的な社会活動に結びつけている事例もあります。
 日本にも、いわゆる患者団体と呼ばれる、そうした互助会として機能する組織が多くあります。
 そうした団体の中には、先鋭的な活動で注目を集めるものも一部にあり、また患者同士の強固なネットワークを作って“科学や医療の番犬”として機能している事例すらあります。

 ごく一部ですが、そうした日本の患者団体を列挙してみます。

患医ねっと株式会社
TRIO Japan
日本移植者協議会
Fabry NEXT
NPO がん患者団体支援機構

 全てを列挙すると大変膨大になりますが、患者団体の一覧が、下記のリンク先(これとて一部)にあります。
・難病情報センター 患者団体一覧
・日本製薬工業協会 患者団体検索
日本の患者会(WEB版)
・日本アレルギー協会 患者会について
・HIV マップ HIV お役立ちナビ(NGO・NPO)

4)主な医療系学術団体
 医療従事者同士の横の繋がりとして、最も著名で強力なものは、云わずと知れた日本医師会です。
 国政に於ける影響力の強さが耳目を集めることが多いのですが、本職の医業や、基盤となる医学(特に臨床系)、医術の思想的基盤となる倫理的側面に関する組織的取り組みの充実度には、やはり一日の長があると云うべきです。
 無論、医療は医師のみによって提供されているわけでもなく、それぞれの担い手同士の互助や連携、自己啓発や現場知の共有を志向する場や組織がそれぞれにあり、最近は少しずつ異業種交流も進んできています(医療系のインカレ学生組織の相互交流やその国際版、地域的取り組みとしては茨城県古河市のケアカフェを、事例群の一部として挙げておきます)。
 それぞれの団体の活発さやオープンさには濃淡がありますが、それらを概観しておくことには、意味があるでしょう。

 主な団体を挙げておきます(網羅まではしないゆえ、軽重の何れにせよ列挙漏れはあります)。このうち、日本薬学会では基礎科学的な内容もかなり扱っています。
日本医学会
日本医師会
日本薬学会
日本薬剤師会
・日本看護協会|日本看護学会
日本介護福祉学会
・公益社団法人 日本介護福祉士会 日本介護学会
日本移植学会こちらも参照)
日本人工臓器学会
・JSGCT 日本遺伝子細胞治療学会
日本生殖医学会

5)どんな活動をしているのか?
 日本の患者団体は、歴史的にはハンセン病患者の人権運動がその端緒と云われ、その後四大公害や各種の医療事件を経て拡大し、草の根運動として発展しています。およそ、疾患別、地域別、病態別に大別されるようですが、一部には医療機関付設や自治体主導、企業主導の団体もあるようです。主な役割は病気に関する啓発、患者同士の互助、対外的な情報発信と各方面との対話です(こちらを参照)。
 医療系団体は、学術団体と職業団体におよそ大別されます。前者はその多くが現場知の学術的体系化、技術の社会実装の知的体系化を志向しています。職業団体は文字通り職業別の互助組織ですが、やはり現場知の集積や体系化と対外的な情報発信に併せて、アドボカシー活動を展開する場合が多くあります。ただ、それぞれの職業団体が何をやっているかは、知名度の高い一部の例外を除き、いまいち見えにくいところもあります。

6)「患者」とは誰なのか?
 ところで、医療のクライアントとしての「患者」とは、医療にとってどのような存在なのでしょうか?
 先述の通り、現実的には、医療行為の受け手ではあり、医療の専門家による主義や物質の提供を受ける立場です。かつては専門知の非対称性による権力構造を前提にした捉えられ方、有り体に言えば“医療の専門家が医療を知らない患者に施すのが医療行為”という認識が強くありました。
 しかしながら、よく考えるまでもなく、何某かの専門知を抱えながら病気や怪我を患った人を、たまたまある文脈、ある場面で医療従事者は患者として迎えるわけです。時には、医療従事者自身が別の医療従事者にとっての患者になることも多々あるわけで、その意味で、そもそも“専門知の非対称性による権力構造”などはじめから虚構同然だったとも言えます。
 ガン専門医がガンを患った経験談が書物になるなどの示唆的な事例も沢山ありますが、左記の患者運動の影響や、科学の知的体系の流通が、“専門知の非対称性による権力構造”の虚構ぶりを再認識させている側面もあると思われます。そのことを最も認識していないのは、恐らく社会的な問題意識の低い、一部の医療従事者ではないかと、筆者には思えてなりません(その最たる具体例が、いわゆるエラ医者や低能な薬剤師、無駄にプライドばかり高い看護士、こころ主義に流れる医療団体の一部のお偉方だったりするのでしょう)。

 次回第5回では、医療や医科学の在りようを律する生命倫理について考えます。
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