2016年08月12日

科学祭を考える(3);日本の科学祭の源流

 科学祭について考える5回シリーズ、その第3回は日本の科学イベントの歴史と、その源流に関して考えます。

1)国際博覧会
 日本で科学祭的なイベントというと、多くの方が思いつくのは国際博覧会でしょう。
 江戸時代以前の内覧会的なものを除くと、1871(明治4)年の東京・九段下での大学南校物産会や京都・西本願寺での京都博覧会が、日本最古の博覧会で、その後明治〜大正〜昭和初期にかけての勧業博覧会(東京、京都、大阪、名古屋、仙台など)がそれに続きました。一連のイベントは産業振興の色合いが強く、工芸品や工業製品の展示が主な内容でした。
 時は流れ、戦後の高度経済成長期の真っ只中。1970(昭和45)年に大阪・吹田の千里丘陵で日本万国博が開催され、これが日本で初の国際博覧会でした。半年間の来場者数 6,421 万人は、北京万博が上回るまで、国際博覧会連合に記録のある中での史上最多記録でした。
 その後、日本で国際博覧会はこの大阪・日本万国博を含めて5つ開催されています。他の4者は、
・1975 年 沖縄海洋博
・1985 年 筑波・国際科学技術博
・1990 年 大阪・国際花と緑博
・2005 年 愛知・日本国際博(愛・地球博)
...です。

2)各地の科学イベントや見本市
 これと前後して、80〜90 年代の日本で博覧会ブームがおき、1978 年、1979 年の宇宙科学博覧会(東京・有明13号地;現在のお台場地区)、1981 年の神戸ポートピア 81、1987 年の未来の東北博覧会(宮城県仙台市)、1989 年の横浜博覧会 YES'89、同年の世界デザイン博覧会(愛知県名古屋市)など、列挙すれば一覧は膨大になります。とはいえ、バブル崩壊と共に博覧会も下火になり、1996 年開催予定だった世界都市博(東京・お台場)は当時の青島都知事の決断で中止となりました。

 これと違う流れで、国際見本市会場における内覧会や見本市が、栄枯盛衰を重ねながら、今に至るまで隆盛を極めています。経済産業省の資料に 2003 年以降の主な動向が、また日本展示会協会の資料に 1950 年代以降の簡単な歴史がまとまっていますが、科学技術になんらかの関係を持つ主な国際見本市を列挙すると、以下のような感じです。
日本国際工作機械見本市(JIMTOF)
東京モーターショー
FOODEX Japan
東京国際ギフトショー
CEATEC Japan
エコプロダクツ(→2016 年開催から「エコプロ」に名称変更)
 ただ、日本の見本市に関する統計資料は未整備のものが多く、且つその絶対数も少なく、業界団体内でも体系的に歴史から実態、今後の展望までを整理した例は余りないようです(筆者が知らないだけかも知れないので、ご存知の方はご教示下さい。筆者の知るものはこちらこちらこちらこちらなど)。

3)地域の科学イベントと理科教育
 これらと平行して、日本各地の科学館や博物館、地方自治体の施設では大小の科学イベントが多数行われており、小さなブースが居並ぶ「科学縁日」的なものから、拠点施設の特別企画として本格的な内容のものまで、実に沢山あります。
 その多くは、市区町村の中での広報や口コミなどにより、地域社会の中で開催が共有されるため、その全ての事例を拾い上げ、把握し整理するのは困難です。その一方で、有志の市民団体や企業の部署など、担い手は多様です。その担い手のごく一部を挙げておきます。

[市民団体]
NPO 法人 butukura(北海道札幌市)
サイエンスサポート函館(北海道函館市)
NPO 法人つくば環境フォーラム(茨城県つくば市)
ダ・ヴィンチクラブ(千葉県千葉市)
NPO 法人くらしとバイオプラザ 21(東京都中央区)
NPO 法人サイエンスリンク(東京都世田谷区)
科学読物研究会(東京都)
サイエンスホッパーズ(東京都杉並区)
北下浦みんなの家天体観測友の会(神奈川県横須賀市)
日立清水理科クラブ(静岡県)
kagaQ(愛知県名古屋市)
科学談笑喫茶室・理カフェ(大阪府)
NPO 法人科学の公園(福岡県福岡市)

[企業の部署]
株式会社リコー(東京都中央区)
 ;旧理研コンツェルンの一つ。サイエンスキャラバンは全国行脚。
株式会社ウェザーニュース(千葉市幕張)
 ;「そら博」と南極観測船しらせの管理、一般ユーザからの花粉データ収集など。
株式会社アイカム(東京都板橋区)
 ;科学映像で世界的には有名。独自のドーム映像プログラムで各地を行脚。
全日本空輸株式会社(東京都港区)
 ;沖縄のサンゴ再生の取り組み「チーム美らサンゴ」の事務局として機能。
エーザイ株式会社(東京都文京区)
 ;岐阜県の川島工園に「くすり博物館」を常設。日本有数規模。
サントリー株式会社(大阪府大阪市北区)
 ;多様な文化事業を展開し、その一つである水問題の取り組み「水育」が有名。

 因みに、こちらには日本の企業博物館の一覧があります。
 2013 年に企業博物館をテーマにした特別企画展が、東京・四ッ谷の帝国データバンク史料館であったそうです(こちらこちらも参照)。

 その他、日本各地の科学館、博物館に関しては、第5回で取り上げます。
 それ以外にも、各地の研究機関(例えば理化学研究所、産業技術総合研究所などの独立行政法人や研究法人、都道府県の各種試験所など)、工場や企業研究所などの一般公開も含めれば、地域の科学イベントの文脈で位置づけ可能なイベントの種類は多岐に渡るでしょう。

 こうした一連の拠点(企業博物館以外の、各地の博物館や科学館、水族館などを含む)の存在や、各種のイベント群の歴史を垣間見ていると、2つの大きな流れが見えてきます。一つは官民の産業振興、もう一つは科学の知識普及や理科教育の振興です。多くの博覧会や見本市は第1者、博覧会の一部や地域の科学イベント(科学館などによるもの)は第2者の性格が強いですが、筆者の観測範囲での実感として、90 年代後半以降は両者の混在を経て、企業側にせよ科学研究側にせよ、徐々に社会との対話や専門家の社会進出という文脈で理解できる取り組みが増えてきたように思います。
 その社会的認知が徐々に、しかし決定的に高まってきたのは、日本では 00 年代中盤以降であり、そのことには、やはり第3期科学技術基本計画において“科学技術コミュニケーションの推進”が掲げられたことが大きく効いていると思われます。

 第4回では、米英の科学祭事情に簡単に触れます。
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2016年08月11日

科学祭を考える(2);日本の科学祭の一覧と栄枯盛衰

 科学祭について考える5回シリーズ、その第2回は日本の科学祭の一覧と現状、近年の実状に関して整理します。
 第1回でも少し触れた通り、その出自は様々ですが、地域の町興しや科学と他の文化との交流及び融合の流れは、脈々と続いています。

1)現在動いている科学祭一覧
 全てを列挙することは出来ませんが、現段階でのにわか調査で把握している限りのものを列挙します。

CISE サイエンスフェスティバル(北海道札幌市)
はこだて国際科学祭(北海道函館市)
科学フェスティバル in よねざわ(山形県米沢市)
学都「仙台宮城」サイエンス・デイ(宮城県仙台市)
つくばサイエンスコラボ(茨城県つくば市)
千葉市科学フェスタ(千葉県千葉市;こちらも参照)
東京国際科学フェスティバル(東京都をはじめとする首都圏全域)
かながわサイエンスサマー(神奈川県)
山梨プラネタリウムフェスティバル(山梨県甲府市)
しずおか科学技術月間(静岡県;こちらも参照)
あいちサイエンスフェスティバル(愛知県)
ぎふサイエンスフェスティバル(岐阜県;こちらも参照)
みえサイエンスネットワーク(三重県)
やましろサイエンスフェスティバル(京都府)
わくわく科学フェスティバル(岡山県)
呉高専おもしろ科学体験フェスティバル in 広島(広島県)
下関サイエンス・フェスティバル(山口県下関市)
かがわけん科学体験フェスティバル(香川県)
科学体験フェスティバル・ミラクルワールド(徳島県)
愛媛大学工学部・科学体験フェスティバル(愛媛県)
都城高専・おもしろ科学フェスティバル(宮崎県都城市)
かごしまおもしろ科学フェスティバル 青少年のための科学の祭典 鹿児島(鹿児島県)

2)栄枯盛衰
 現存する科学祭のうち、筆者が知りうる限り最古のもので、「青少年の科学の祭典」を冠しない、地域の独自拠点を持つものは、茨城県つくば市の「つくばサイエンスコラボ」です。1985 年に開催された国際科学技術博覧会(科学万博・つくば '85)の開催 10 周年を記念して「つくば科学フェスティバル」として実施されたのが始まりで、その後 2011 年から環境系のイベント「つくば環境フェスティバル」「つくば 3E フォーラム」を併催するようになり、現在の複合的な型式になりました。
 同時期に始まった福岡県の「フクオカサイエンスマンス」は、残念ながら 2015 年度限りで終了しています。経緯は未詳ですが、主催の福岡県商工会と、事実上統括していた現地の NPO 法人との間に、何かあったのでしょうか。

 各地の科学祭の中には、国策による財政支援を受けて始まったものも少なからずあります。科学技術振興機構(JST)の科学コミュニケーション連携推進事業「地域ネットワーク支援型」を受けて始まったものもあります。採択企画の一覧を書きに挙げておきますが、概要や報告書は JST 公式サイトのこちら、及びそこからのリンク先で見ることが出来ます。

<一覧ここから>
[08 年度]
・公立はこだて未来大学
 国際交流都市函館の地域ネットワークを活かした科学文化の醸成
・福島大学
 地域の自然と文化と科学にふれて学ぶ「ふくしまサイエンスぷらっとフォーム」の構築
・静岡大学
 ものづくり理科地域支援ネットワーク:浜松 RAIN 房
・神戸大学
 ひょうごサイエンス・クロスオーバーネットの構築を通じたサイエンスコミュニティの醸成
・鳥取大学
 地域の科学技術理解ネットワーク構築とリーダー養成プログラム−ものづくり道場の創設−
・山口大学
 長州科楽維新プロジェクト 〜山口県に科学を楽しむ輪を広げよう〜

[09 年度]
・山形大学
 やまがた『科学の花咲く』プロジェクト
 〜「科学の花咲かせ隊」養成および新たな科学体験手段・機会の創出〜
・新潟大学
 巻き起こせ! コメッセ ムーブメント
・産業技術総合研究所
 ジオネットワークつくばの構築:環境モデル都市とジオパークを目指して
・国立天文台
 東京サイエンスネットワーク−地域の絆を世界の絆に−
・奈良女子大学
 まほろば・けいはんな科学ネットワーク
・和歌山工業高等専門学校
 きのくにものづくり人材育成支援ネットワークの構築

[10 年度]
・松江工業高等専門学校
 神話の国シマネの縁結び(ENMSB)ネットワーク
・九州大学
 Science for All Fukuokans ネットワーク(SAFnet)の構築 〜「サイエンスモール in 福岡」〜
・香川大学
 目指せ未来の平賀源内「かがわ源内ネットワーク」

[11 年度]
・名古屋大学
 あいちサイエンス・コミュニケーション・ネットワークの構築
・沖縄工業高等専門学校
 ALLやんばる 科学と教育のまちづくり

[12 年度]
・北海道大学
 科学系博物館・図書館の連携による実物科学教育の推進
 〜CISE(Community for Intermediation of Science Education)ネットの構築〜
岩手大学
 復興教育と協調したポスト3.11 型科学人材育成のための「未来をつくるイーハトーブサイエンスネットワーク」の構築
・帝京大学宇都宮キャンパス
 栃木の自然と先端技術に学ぶ「サイエンスらいおんプロジェクト」
・岐阜大学
 清流の国 ぎふエネルギー・環境科学ネットワーク

[13 年度]
・旭川医科大学
 自然と健康のハーモニー“大雪(たいせつ)” 〜自然と子どもと健康〜
・宮城県& NPO natural science
 「科学・技術の地産地消モデル」構築による、持続可能な学都「仙台・宮城」サイエンスコミュニティの形成〜知的好奇心がもたらす心豊かな社会の創造にむけて〜
<一覧ここまで>

 それぞれの一覧の成果やその後の推移を見ると、当初から科学祭を必ずしも志向していないもの、科学祭を始めてからその流れが途絶えてしまったもの、ほぼ計画倒れだったものも少なからずあります。とはいえ、プロジェクトを継続的な取り組みにしていくことはどだい易しいことではなく、助成金頼りの運営では助成金の獲得が切れたら終わりという危うさもあります。
 元々、この JST の助成事業は3年間の助成を経て地域社会の中で持続可能な科学振興の仕組みや拠点を作ることを狙いとしたもので、その科学振興の装置の一部が科学祭という位置づけでした。しかしながら、左記の仕組みや拠点としてのネットワークを作り、継続的に機能させるには、人材、資金、体制の維持や管理という、およそ法人であれば常に考えていなければならない問題点があり、中にはその完成に至らなかった事例も多くあります。
 具体的に見れば、神戸、新潟コメッセ、ジオネットワークつくば、奈良女子大のまほろば・けいはんな、和歌山、松江、岐阜、九州 SAF-Net、沖縄工業高専は苦戦又は縮小ないし機能停止、旭川、山形、福島、浜松、宇都宮、山口は地道に継続(宇都宮は科学祭事業を停止)という感じです。

3)意義の裏にある問題点
 各地の科学祭がそれぞれ展開する内容には、地域的事情の反映による特色や個性がありますが、その一方で、やはり地域的事情や個々の運営母体の特性による持続可能性の難易差がどうしてもあります。
 様々なセクタの関与による相互交流や連合体の形成による新たな文化の創成という意味づけがある一方で、その相互交流や連合体の形成及び管理運営となると、異なるセクタそれぞれの文化や内部事情の影響がどうしてもあり、拠点となる担い手が調整役としてその手腕を発揮する上で、関係作りをどうしていくかがどうしても肝要になります。
 そして、科学祭の実施拠点それ自体も何らかの組織であり、経済現象から自由ではありません。即ち、人・モノ・カネの問題がどうしても付いてまわります。
 更に、関係作りや場作りを進めていく上で、個々の企画の参画者のクレジット保障(主催、協賛、後援、企画参画、スポンサーなど)や、運営そのものの公正性の問題(各種の利益相反問題や財源確保の手続きの問題など)も気になります。
 加えて、筆者が東京国際科学フェスティバルの実行委員として、各地の科学祭主催者に対して行った小さな予備的調査(関連する話を第5回で後述)から分かったことが一つあります。各地でこうした科学祭の運営拠点をになう組織や、科学祭の事業それ自体は、その担い手個々人の所属先や、所属を離れた場に於ける、隙間時間での準備や運営を余儀なくされることが多く、その担い手が組織やチームの中で孤立しがちな場合が多いのです。
 そうした中で、地域社会における文化事業としての科学祭がどうして続いているかというと、その拠点を担う個々人の情熱や使命感が大きな駆動力になっており、連携先でのつなぎ役になってくれている方も大小の裁量を持つ個人レベルであることが多く、個々人の所属する法人や自治体等の人事異動や任期の影響に左右されながらも、どうにかその仕組みをつないでいるというのが実状です。
 そうした「人材面でも、資金面でも不安定な拠点が、どうにか組織や地域の有力者との関係を紡いで、どうにか作った関係に特別な文脈を付与し、どうにか走らせ続けている」のが実態で、拠点そのものが財政的にも人材的にも安定という事例は極めて少数です。それでもなお、個々人の情熱と、情熱を持った人同士のつながり、そのつながりがもたらす魅力や意義が、場としての科学祭を動かし続けているのです。

 第3回では、日本の科学祭の源流としての、博覧会や見本市を概観します。
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2016年08月10日

科学祭を考える(1);その担い手と型式の変遷

 新しいプロジェクトを始めます。

 科学と社会の関係を考える上で、その前向きなものの1つが、日本各地で開催されている科学祭です。
 科学の魅力と意義を社会で共有し、楽しいひとときを過ごす場と、集う人たち。その場にある人、知、思想、物質の集積が新たな文化の流れを生み出し、或いは社会生活の質的、量的な向上に、また或いは各種の産業や科学技術の振興に、或いは新たな芸術や演芸の創出に、科学祭は科学と社会の接点として機能してきました。
 楽しいことや役立つことが科学と社会の関係の全てではありませんが、その陰日向にキチンと向き合うためにも、科学が人をどのように魅了してきたのか、学者や芸術家、その他の人たちがどのような知を生みだし、社会に豊かさや夢をもたらしてきたのか、そうした日向の部分をしっかりみることには意味があると思います。

 その全貌を明らかにするのは遠い途ですが、その第一歩として、今回からの5回シリーズで、日本と世界の科学祭について、少しだけ考えてみます。
 なお、科学祭に関連する題材として、各種学会における一般向けのイベントやセッションなども視野に入れます。
 背景には、随時後述しますが、筆者がある科学祭の実行委員になったこと、及びその就任までの経緯が関係します。

 シリーズ第1弾の今回は、そもそも科学祭とは何なのか?を概観します。

1)科学祭の定義と科学コミュニケーションとの関係
 こちら(弊会サイト内)でも定義していますが、「科学のある分野、題材に関する専門家とそれ以外の人たちとの間の双方向的なやりとりを促す営み一般」を総称して科学コミュニケーションと呼んでいます。平成23年科学技術白書の記載にもある通り、その想定される範囲は広汎で、誰と誰の間のコミュニケーションを想定するかにより、その目的や場の設定、実際のコミュニケーションの様態は多様なものになります。

 今回テーマにしている科学祭を定義すると、以下のようなものが妥当な線でしょう。

[定義ここから]
 何らかの意味で科学(数学や基礎科学、各種応用的分野、科学技術社会論、科学教育、科学史、科学哲学などを含む)を題材とした体験型のイベントで、期間を定めて、特定の会場または地域で実施し、複数の企画をその内容に含むもの。
[ここまで]

 科学祭の舞台は、科学の魅力や意義を社会と共有し、そこに集う人たちが楽しいひと時や、有意義なひと時を過ごす場として機能しています。それゆえ、科学のある分野の専門家とそれ以外のかたがたとの接点がおのずと発生し、その意味で科学コミュニケーションの実践の舞台の典型の一つという意味づけが可能であると考えられます。

2)科学祭の歴史を概観する
 主要な具体例の紹介はシリーズ第2回にまわすとして、ここではおよその歴史を概観します。
 第3回でその源流を探りますが、科学祭の名を冠して現在の形のものが本格的に始まったのは、1992 年開始の「青少年の科学の祭典」でしょう。同年に東京、名古屋、大阪の3ヶ所で始まり、現在は東京・北の丸の科学技術館で開催される全国大会と全国各地での地域大会が開催されるようになり、地域大会の総数は 50〜100 件にも登ります(2016 年度は 63 件)。多くは実験講座や工作教室、その他体験型企画が一堂に会する縁日型として構成され、多くの親子連れで賑わっています。
 これとは別の流れで、各地の自治体や大学、研究機関、博物館や科学館などが拠点となって、地域の中で同時多発的なイベントを取りまとめて同じ看板を掲げて行う、子どもに限らず大人でも参加できるような、「フェスティバルのフェスティバル」という自己言及性をこめて「メタフェスティバル型」とでも云うべき科学イベント群が現れてきました。そうしたタイプの科学イベントが、今で云う科学祭の典型であり、その出自は幾つかのパターンに分けることが出来ます。地方自治体の教育振興政策や産業振興政策の一環として独自財政で始まったもの、各地の科学館や博物館、大学や研究機関などの特別企画として始まったもの、第3期科学技術基本計画で科学コミュニケーションの推進が唱われてからの政策的誘導で活動助成を得て始まったものの3つに大別されそうです。第1者の例としては、茨城県つくば市の「つくば科学フェスティバル」(1995 年〜)や福岡県の「フクオカサイエンスマンス」(1996〜2015 年)、第2者の例としては、山梨県甲府市(山梨県立科学館主催)の「山梨プラネタリウムフェスティバル」(2006 年〜)や徳島県徳島市(徳島大学主催)の「科学体験フェスティバル in 徳島」(1997 年〜)、第3者の例としては、東京をはじめとする首都圏で開催の「東京国際科学フェスティバル」(2009 年〜)や北海道函館市の「はこだて国際科学祭」(2009 年〜)、愛知県の「あいちサイエンスフェスティバル」(2011 年〜)などが、それぞれあります。
 こうしたイベント群そのものには栄枯盛衰がありますが、流れとしては脈々と今も続いています。

3)科学祭をどう考えるか?
 日本での科学祭の流れを見ていると、理科教育や科学教育の振興、科学リテラシーの情勢や市民の側の自発的な意識向上を目的意識や問題意識に持つ、ボトムアップ型のイベント又はイベント群が多く見られます。他方で、函館や愛知の事例を見ると、科学を利用した町興しという論点も出てきます。
 この町興しという点に着目すると、実は海外での科学祭の多くが町興しの一環として行われている場合が目立ちます。英国のエジンバラやチェルトナムでの科学フェスティバルには日本人が視察した事例がありますが、その英国での科学理解増進の取り組みは歴史が長く、その源流は 1799 年設立の王立研究所によるクリスマスレクチャー、1830 年設立の英国科学振興協会(現在の英国科学協会、略称「BSA」)にまで遡ります。記録にある限り、世界初の科学祭が開かれたのが実はこの英国で、1831 年にヨークで開催された BSA の年会(今で云うサイエンスアゴラに近いもの)が世界初、現在の形の科学祭に限れば 1939 年のエジンバラ国際科学フェスティバルが世界初です。このエジンバラの事例は、元々芸術祭が有名だったことから、新たな地域振興策として始まったものです。
 この左記のクリスマスレクチャーは日本でも 1990 年に開催され、その影響を受けて日本で始まったのが「青少年の科学の祭典」です。
 そうした観点から見ると、科学祭という文化的な流れは、英国初で世界に広まり、科学の理解増進と街興しの2つの柱を持ってきたと言えそうです。

 第2回では、日本の科学祭の主な一覧を概観します。
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2016年05月25日

今年も開催!研究問題ワークショップ「本音で語る」;今年は生命操作

 節目を超えて、今年で 11 回目を迎える、日本の科学コミュニケーションの祭典兼総合見本市、サイエンスアゴラ
 今年も、その企画公募の時期が佳境を迎えています。

 今年のテーマは、生命操作にしました。
 ただ、その話の展開において、ある隠しテーマが2つあります。

 現段階で決まっている開催要項案(というか公募のエントリー内容)を記しておきます。

サイエンスアゴラ 2016 公募企画
第 11 回研究問題ワークショップ
本音で語る生命操作〜基礎と臨床の距離どうする?〜

・開催日;11/3〜6 のどこか
・会場 ;国際研究交流大学村のどこか
・出展者;横山 雅俊
     榎木 英介(近畿大医・病理医)
     三輪 佳子(フリー・科学ライター)
     #phdjp 科学と社会ワーキンググループ
・ゲスト;これから鋭意交渉

・概要;
 必ずしも難病に限らない病気の治療法や治療薬の開発として画期的なものが、近年幾つか出てきています。その中には iPS 細胞を用いた網膜シートの移植や、アデノシンデアミナーゼ欠損症の遺伝子治療など、高度なものもあります。基盤的な知を生む営みとしての生命科学の基礎研究は、少なからぬ場合において病気の治療法開発を視野に入れていますが、研究成果の積み重ねが治療法として結実するまでの道程は一筋縄でないことの方が普通です。他方で、その病気の治療法に人生の光明を見出している患者や医療従事者の存在も大きく、科学と社会の関係における「役立つ」ことの具体例として確固たる地位を占めています。
 基礎と臨床をつなぐ研究の担い手は、多くの場合、臨床医療方面に過剰な期待を抱かせないよう細心の注意を払っていますが、患者やマスメディア関係者には大きな期待を寄せる向きもあります。そうした中で、最先端の科学技術が「役立つ」ことの難しさを、異なる分脈で受け取る事態が往々にして生じますが、それを我々はどのように乗り越えたら良いのでしょうか?
 最先端の基礎医学の研究を題材として、基礎的な生命科学の研究者、医療のクライアントとしての患者、ELSI(倫理的法的社会的問題)の側面から俯瞰する社会学者の間の対話を通じ、基礎と臨床の距離を直視しながら、基礎医学の研究や臨床医療の開発をしなやかに進めていくには何が必要なのかを、本音で考えます。

・およその内容;
 例年通り、前半がトークセッション、後半がワークセッションの2部構成で考えています。
 前半のトークセッションは、サイエンスカフェの型式で進行します。研究者、患者、社会学者の対話に、来場者との双方向的なコミュニケーションを交えて、それぞれの方々が大切にしていることと向き合いながら、基礎研究の遂行や治療技術の開発及び実践に潜む問題意識の共有を目指します。
 その流れを踏まえて、後半のワークセッションでは、基礎研究や臨床医療の開発及び実践のあるべき姿を探ります。その際に、参加者の気付きやひらめきを重視する手法を用いて、全員参加で問題と向き合います。

 今回も、事前や当日のご協力を、各方面の方々にお願いすることになると思います。
 お知らせをお送りした方々におかれては、どうか宜しくお願い申し上げます。

 今年も、例年以上に有意義な会にして、2次的な波及が発生するように、頑張りたいと思います。
 当日、多くの皆さんとお目にかかれることを、楽しみにしています。
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2015年12月20日

開催報告−第 10 回研究問題ワークショップ「本音で語る研究費問題」

 今年 10 周年を迎えた、日本の科学コミュニケーションの祭典兼総合見本市「サイエンスアゴラ」。
 その歩みとともに、研究問題ワークショップ「本音で語る」も今年で 10 回目を迎えました。
 前身の NPO サイコムジャパン主催から引き継いで、科学研究の負の側面、陰の部分と向き合い続けて我々も 10 年、いやそれ以上...。その第1回の頃から問題意識を持ち続けてきて、今まで取り上げなかった今回のテーマ。今年はようやくそのテーマ...研究費の問題を扱いました。
 きっかけになったのは、このブログ...「ある医療系大学長のつぼやき」...と、その主による独自研究「運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究」(通称豊田レポート)です。
 そして、日本の科学技術政策における研究費制度の問題に関して、地に足の着いた研究者目線の言論や主張が、特に高等教育や研究の現場で最前線に立つ方々のそれがなかなか無かったことに関して、長らく思いの丈を募らせてもおりました。
 そうした思いの丈と、強力な論者の力を借りて、第 10 回にふさわしいテーマと人選、内容に出来ました。

 開催要項を再録します。何の偶然か、第1回サイエンスアゴラの時の「本音で語る研究倫理問題」と同じ部屋が会場でした。

サイエンスアゴラ 2015 出展企画
第 10 回研究問題ワークショップ「本音で語る研究費問題〜幸せに研究するために〜」
(サイエンスアゴラ公式サイトの企画ページはこちらに)
(当会公式サイトの案内ページはこちらに)

主催:横山雅俊
   榎木英輔(近畿大医)
   三輪佳子(みわよしこ;フリー)
   #phdjp 科学と社会ワーキンググループ
会場:東京国際交流館プラザ平成 4階・会議室1
日時:2015 年 11 月 14 日(土) 14:00〜16:30
ゲスト;田原敬一郎さん(未来工学研究所)
    豊田長康さん(鈴鹿医療科学大学)

 では、その当日の模様です。

 例年通り、2部構成で実施しました。前半は2人のゲストによる話題提供をサイエンスカフェの型式ですすめるトークセッション、後半はトークの場での問題意識や議論、来場者の思いを受けての全員参加のワークセッションです。
 なお、今年は JST の研究人材キャリア支援ポータル JREC-IN にて、この企画のご紹介を頂いていいます(こくちーずのサイトにリンクをして頂きました)。また、サイエンスアゴラ公式サイトでも、研究者向けのお奨め企画として推薦を頂いております。当日は延べ人数で 20 人ほどの方々にご参集いただき、毎度こじんまりながらも熱いやりとりになりました。来場者の中には筆者の友人である生物物理学者や、大学 URA の方もおられ、関心の高さが伺えました。

 司会者(=筆者)による趣旨説明を経て、まずは前半のトークセッションへ。
 話題提供者1人目は田原さん。政策科学の専門家として、日本の科学技術政策の動向から、日本の研究費制度の現状と問題点にわたって、研究者や大学関係者に対する提言も含めてお話を頂きました。

[田原さんの話題提供の概要]
 研究資金の配分と科学技術の流れに関して、話題を提供する。
 私(田原さん)は理系の研究者ではなく、政策科学を専門とする民間シンクタンクの研究員で、どちらかと云えば文系。そのシンクタンクでは科学技術政策を研究対象にしており、資金配分政策を各国で比較分析したり、その流れを研究したりしている。
 多くの皆さんがご存じの通り、研究者や大学を取り巻く環境は変わってきた。研究資金に関する現象としては、これまでは大学や研究機関を単位とした大学の運営費交付金のようなブロックファンドだったが、現在は政府が政策目的を持ち、戦略的に資金配分をしている。この配分は人材や研究チームではなく、研究能力の高い研究機関や組織への重点的なもので、組織として戦略的に資金を取らなければ行けない状況に。これは日本に限った話ではなく、世界的にも同様の環境変化がある。
 研究資金のありように関して、これまで「繁栄の自治モデル」と「説明責任モデル」の対立があった。前者は「当事者に任せよう」、後者は「社会に対する利益を示せ」というもので、久しく拮抗状態にあったが、2000 年前後に後者が勝利したような状況に。この流れは不可逆的であるが、その一方で、需要側や社会のニーズに牽引される形で研究費配分の優先順位付けや重点化のありかたを見直す動きが出てきた。米国 NSF の Broader Impact(1997 年〜)や英国 UK Research Council の Pathway to Impact 、責任ある研究とイノベーション(Responsible Research and Innovaation;多様なステークホルダーによる共創や共治に基づく、科学技術の知識創造と統治)などの流れがある。
 日本での事情について。科学技術基本計画の第1期〜第4期では、概ね「科学を理解していただく」内容だったが、第5期になって「共に創る」考えが出てきた。第3期以降、科学コミュニケーションの推進が掲げられ、「啓蒙」から「すり寄り」へ、「理解不足だから教えてやろう」から「役に立つからご理解を」へと政策側の戦略も変わってきた。
 問題はどこにあるのか。研究者は知的能力により研究を行い、成果を世に送り出す。各々の研究がその後どう価値を生み出すかを研究者自身はコントロール出来ない。これは研究まわりに限らず、政策レベルの問題だが、評価の矛先は「研究の現場」に向いている。研究成果が価値を生み出すには、長い時間がかかることが一般的。且つ、社会自身も変容する。研究開発も社会も不確実という中で、研究成果を評価することは難しい。では、国による研究開発評価はどうなっているかというと、今のところ“何となく?”文部科学省や経済産業省などの出す政策があり、そこに研究者がボトムアップで出した研究テーマが採択される構造。それゆえ、責任を取らされるのは専ら研究者であり、論文が何本あり、どれだけ引用されて、どういう影響を世の中にもたらしたかのみが問われる。しかし、政策や社会の側の問題は問われない。
 では、どう対処すれば良いのか? 第1に、科学的価値を強調しつつ、経済的及び社会的な波及効果を「盛る」方法。これは駄目。事業仕分けの顛末を考えると分かろう。第2に、成果の出やすい“小粒”な研究開発に投資を集中する方法。これも駄目。インパクトも小粒化し、管理コストも増大し、自分の首を絞める結果に。第3に、先見性を高める戦略。これもやはり駄目。研究開発の成果発現自体が不確実で、社会も絶えず変化する。では、第4の道は…というと、以下の3つの柱からなる対応策が考えられる。「実績の説明」のための評価、「能力の証明」としての評価システムの構築、「提言」としての評価。政策側が、意図する効果それ自体でパフォーマンスを説明し、結果を生み出す仕組みや環境整備を見る仕組みを作り、長期的な視野に立つ。
 今の日本における最大の問題は、“学習する”政策システムをどう作るか。現在は政策競争の時代であり、システムでの競争になっている。大学や研究機関には、実績を説明するための評価が求められる。業績の説明責任をどのように果たし、能力をどのように証明するか。また、上から振ってくる評価をどう扱うかも課題になる。
 さて、研究者はどうすれば良いか? 必要なことは3つ。第1に「自覚すること」。知識には自覚的だが、抽象化やモデル化には弱いことが多いため、研究の展開可能性を提案しにくい。第2に「位置付けること」。自分がなぜ研究出来るのかを知ることが必要。第3に「はみ出ること」。研究者社会からはみ出し、外の世界を知ることが必要。無論、研究者だけが最適化してもダメで、それぞれのアクター(研究者、研究機関、行政)が少しずつはみ出しながら、適切に責任を果たし合う社会システムにしていくことが必要だ。
[ここまで]

 話題提供の冒頭で田原さんより、「幸せに研究出来ていますか?」 その一言で会場に笑いのひととき。
 話題提供の終了後に、質疑応答1件。研究の価値は社会に考えてもらえば良いのでは?との問いに、田原さんからバイオセンシングの例で、本質的なところの抽象化が出来なかった事例の紹介。抽象化能力が展開可能性の提案から研究の価値を社会で共有できる可能性につながるから、研究者も研究の価値を考えなければいけない...と。

 続いて、話題提供者2人目は豊田さん。科学研究の最前線におられ、大学の運営にも携わっておられます。国立大学財務・経営センターの理事長や三重大学の学長を歴任され、現在は鈴鹿医療科学大学(三重県鈴鹿市)の学長。独自研究による日本の研究パワー低下の現状と、その背景にある研究費制度の構造問題に関してお話を頂きました。

[豊田さんの話題提供の概要]
 ここ数年の日本からは、ノーベル賞受賞者が多数出ている。しかし、近年、日本発の論文数が低迷し、リトアニア並になっている。研究費を出せば論文数が増えるという事実はあるが、研究者1人当たりの研究費は減っている。
 医学部のある大学では、収入から教育経費を引いた値が充分大きいが、医学部のある大学と無い大学の間で、この値の差が大きい。論文数の少ない大学では、この値は低い。その後、大規模8大学では別の公的資金によりこの格差が埋められたが、他の大学ではまだこの措置の適用が無く、大学間格差が発生している。そのことが、論文数の減少に影響していると思われる。
 論文数を増加させるのに、何が効くのか。常勤教員数と基盤的収入が実は重要。競争的資金では全然ダメで、論文は増えない。この競争的資金が、日本の研究環境をダメにしたと言える。
 続いて、Times Higher Education(以下 THE)の大学ランキングで、日本の各大学のランクが落ちた話を。なぜ落ちたか? 東大や京大も落ちたが、他の旧帝大も、軒並みもっと激しい勢いで順位を落とした。実は、 THE 大学ランキングは 2014 年までトムソン・ロイター社が評価を実施。2015 年からエルゼビア社に移管。その影響はありそうだ。なお、評価の指標は公開されている。
 その指標をグラフにしてみると、教育は軒並み低下。国際化はどの大学も多少の上昇はあるものの、全て低い。研究はジリ貧で、論文の被引用数が減少。これが一番効いている様子。被引用数の評価は公開されていて、データは研究者コミュニティの大小で調整されている。ただ、それゆえ、大きなコミュニティの出来ている分野は不利。小さなコミュニティで引用されている論文があると、点数が上がりやすい。とはいえ、そもそも日本の大学の被引用数は低く、左記の分野間調整でかえって低下。
 多様な研究分野の強みを反映する指標として、「分野硬直度」を導入し国別に算出してみた。日本は高く、増加傾向。英国、米国、ドイツは元々低く、低下傾向。中国は高かったが低下傾向。韓国は高くて増加傾向。
 分野別調整に関して。THE 大学ランキングで、2014 年でも実施されていたが、2015 年に更に精緻化された模様。国別調整で、非英語圏であることへの配慮は減少した模様。日本はこの国別調整で引き上げてもらっていたが、今回それが無くなった。まとめると、研究競争力の低下に分野硬直度増加による大減点が加わり、国別調整が無くなったことで更に減点。これでドカンとランキング低下したと思われる。
 結論。なぜ日本の研究パワーが落ちたか。大学の基盤的経費が削減され、研究費配分の重点化で選択と集中が行われ、論文の生産性が低下。更に分野硬直性が助長され、大学ランキングの大幅な低下につながったものと推測する。
[ここまで]

 ここから質疑応答を経て、その流れのまま総合討論に。
 質疑の内容も様々。「分野硬直度に関する概念の補足」「研究費の選択と集中が世界的潮流なのに、日本だけランキングが大幅低下した理由」「研究者の時間配分に関する話(FTE=常勤換算で研究時間を測る必要性)」「選択と集中の流れの由来」「日本が研究者の行きたい国になっているのか」など、論点は多岐に渡りました。

 5分の休憩を挟んで、後半のワークセッションへ。
 今回は、2年ぶりにフューチャーマッピング(旧称「全脳思考」)を採用しました。一昨年までの3年連続を含めて、この手法でのワークは通算4回目になります。手法に関して詳しくは、例えばこちらのサイトこちらの書籍を参照。
 筆者の理解する範囲で、手法の概略を簡潔に述べます。ある架空の人物を想定し、その人物が主人公となる物語を考えます。その人物が“120 %ハッピー”になるような物語の展開をグラフ化して考えるのがワークの中心で、6マスのチャートにその物語を書き込んでいきます。そのマスの縦軸が主人公の“幸福の度合”、横軸が時間。そのグラフの曲線が、主人公の幸福さの推移を表します。その物語に、事前に想定して一旦伏せた問題意識の関連する事象を当てはめ、その問題意識の解決策に結びつけるロードマップを作っていきます。その曲線の始点が、そのロードマップの第一歩として、課題解決への動き出しを示唆するというものです。

 後半のワークでは、大学 URA の方と、生命科学の研究者の方の“ハッピー物語”を考えるワークを、2つの島に分かれて展開しました。得られたワークの内容は、概ね以下の通りです。

島1;大学 URA の方の物語。大学・研究機関の立場から、今から3年後に担当者としての幸せなゴールを考える。
 テーマは「競争的資金を如何に獲得するか」。主人公は奈良県在住の外国人女性研究者。恋人が日本人だが、任期が切れると帰国しなければ行けない。そして、腰痛持ち。山あり谷ありの3年間を経て、安定したポジションにたどり着けて、なぜか腰痛が治癒。3年間のうち1年目は“問題点の洗い出し”。良い研究者を呼ぶための(育児を含めた)生活サポートや、失敗した研究データのアーカイブ化など。2年目は“トライアンドエラー”。科研費の書き方支援、挑戦的研究資金の要求、精神的な支援、研究所内での福利厚生やサークル活動など。3年目は“発信”。得られた成果をサイエンスアゴラで発表、地域社会との交流、海外出身者や女性研究者の特別枠の創設など。物語のタイトルは「研究者が 120 %ハッピーになるトータルケアプラン」。これを実現するための第一歩は「同僚に話す」。

島2;ある生物物理学者の物語。研究者の立場から、今から3年後の研究者としての幸せなゴールを考える。
 テーマは「すべきと思う、或いはやりたいと思う研究に使える研究費が欲しい」。主人公は千葉県在住の 10 歳のサッカー少年で、兄弟姉妹4人の3番目(年の順に長女、長男、次男、次女)。ゴールが決められず、レギュラーが取れないところから、3年かけて、ユースチームで初得点するまでの物語。3年間のうち1年目は“研究者のネットワーク化”。事務の外注、クラウドファンド、作業所の設置、仲間の募集など。2年目は“ネットワークの組織化”。優秀な事務員を雇い、研究者の行っていた事務作業を可視化。3年目は“制度の実現”。統一された仕組み作り。話題が多様な内容を含み、ワークの参加者の間で引っかかる題材が続出し、残念ながら時間切れで物語は未完。しかし、鍵になるキーワードが幾つか出てきて、その一々にイメージが膨らむワークに。

 実は、今回のワークを取り仕切っていただいた進行役の冨士森さんは、大学や研究機関を主な顧客とする実験機器の卸売業者の経営者。過年、薬科大学のインカレ団体「薬学生の集い」(現在の日本薬学生連盟)のイベントで知り合った井上義之さん(現在は株式会社メディエールの社長で薬剤師)のご紹介で、その井上さんもワークショップの手法開発に熱心。そのご縁で、たまたま冨士森さんとの出会いもありました。

 最後に、ゲスト3人のコメントを頂戴して〆にしました。
 時間は予定を大きくはみ出し、規定の時間を 20 分ほど超過してしまいましたが、それでも来場者の皆さんには3時間弱の長丁場も短くお感じ頂けたようで、主催者としてはホッとするところです。

 主催者からのコメントを少々。
 2006 年のサイエンスアゴラ「本音で語る研究倫理問題」では、研究不正と研究費不正の問題を隣接する問題群としてひとまとめに扱い、公正性を実現していく上で何が問題であるのかを本音で考えました。当時は後半のワークも手の込んだ手法にはせず、大討論会にしました。しかし、ずっと議論ばかりしていても煮詰まるばかりで発展性が無く、2009 年の第4回くらいからは、なるべく簡便な手法の作業を入れるようにしました。ワークの手法は変遷を経て、現在のようなシナリオ型のワークを通して、隠れた本音とその融和や相違点の可視化を志すものになりました。
 その一方で、研究公正(第1回「研究倫理問題」や第9回「研究倫理問題リターンズ」)やキャリア問題(第2回「ポスドク問題」)、高等教育問題(第4回「大学とは何か」や第7回「専門職学位(薬学6年化)」)、社会の中の科学(第6回「夢の薬(医薬品 2010 年問題)」)などのテーマと隣接して、研究を左右する政治や経済の問題は常に真横にありました。それらを真っ正面から取り上げる機会と腕力がなかなか揃わず、我々にとって科学研究における制度面や経済の問題は長年の宿題でした。
 その絶好機を窺っていた一方で、大学院重点化政策以降の高等教育の動向、大学などの運営費交付金の漸減と競争的資金の拡充の背景にある産業構造や国際競争の情勢の変化、世界各国の科学技術政策の動向、それらの中での日本の立ち位置の微妙さなど、様々な問題群が浮かび上がってきました。そして、それらの問題群一つ一つが、日本の高等教育や科学研究、技術開発に大なり小なり影を落としてきたことを、我々はこの 10 年間目の当たりにしてきました。高等教育や科学研究、技術開発の現場で最前線に立つ1人1人は、地道な成果の積み重ねで全体としては華やかな成果を上げつつも、必ずしもその報いは充分ではなかったでしょうし、置かれた環境も多くの場合は厳しく、その厳しさは年々増しているとさえ思われます。
 こと科学研究の現場に関しては、置かれた環境の厳しさは年々増しています。研究の世界にありながら、研究そのもので思う存分その能力をなかなか発揮出来なくする構造が、研究の現場でも、研究を動かす制度面、研究現場の外からの影響の面でも、少なからずあります。それらの構造要因は研究の現場の中だけにあるのではなく、社会や制度の側にもあります。そして、そのことを科学研究や制度運用の当事者、特に最前線や組織の末端にいる者がなかなか言い出しにくいのも実態です。
 ただ、ある分野の科学研究のもたらした負の側面を乗り越えるのにもまた別のある科学が力になったように、科学に関わる多様な担い手が知恵や情熱を繰り出していくことで、苦難を乗り越えていけるのではないか…と。結局のところ、研究者にとって研究しやすい環境や研究費制度があれば、研究者のパフォーマンスが上がり、良い成果が出るのは理の必然です。しかし、それをビジネスの世界で云う選択と集中で出来るのか?となると、ビジネスの世界で成果主義が様々な歪みを生み出したように、或いはそれ以上に、実際には費用対効果の低下や研究公正問題の源泉などの歪みを生んでいるようにも思えるのです。
 その苦難を乗り越えていくための一歩としてはあまりにも小さいながら、この企画の続きがその一歩一歩を大きな歩みに出来ることを信じて、我々は歩みを続けたいと思います。
posted by stsfwgjp at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする