2016年10月23日

研究問題 WS「本音で語る生命操作」;ゲストの皆様からメッセージ

 今年のサイエンスアゴラ「本音で語る」では、生命操作の問題を扱います。
 既報の開催案内にあるとおり、3人のゲストの皆さんをお迎えします。
 そのお三方から、メッセージをお預かりしています。

 以下で、ご紹介します。

・河本 宏さん(京都大学再生医科学研究所;研究者)
 私達は、iPS 細胞技術を用いて再生したキラー T 細胞を、がんの免疫細胞療法で使うという戦略の臨床応用を目指した研究を進めています。自画自賛になるが、基盤技術の開発研究は順調に進んでおり、成功すれば日本の医療の中に新しい産業領域を形成できるような重要な事業だと自負しています。にもかかわらず、研究資金の獲得がままならないことと、また再生医療における規制面の基準が不明確である点に、四苦八苦しています。第一の論点としては、研究資金の獲得に際して、どういう障壁があるのかをお話しします。第二の論点として、再生医療の臨床応用において安全性の担保がどの程度必要かという点について論じたく思います。

・鈴木 信行さん(患医ねっと株式会社;患者団体)
 今では医療技術が進み、妊娠初期の出生前診断により発見される可能性が高くなった二分脊椎症。
 私は46年前にこの疾患を持ち生まれてきた身体障がい者です。
 また、20歳、24歳では精巣がんになり、さらに今年は甲状腺がんも発症し、いまなお闘病中です。
 各時代の先端医療により助けられてきた私のいのち。
 でも、そこに私自身の意図はさほど感じないというのも本音です。
 患者は治りたいと思っている? 研究が進むことを喜んでいる? 本当に?
 まさにがんの臨床にいる患者は、何を考え治療に向かうのか、そして研究に何を期待するのかについて、個人の経験を踏まえて、一患者の視点から語ります。

・粥川 準二さん(科学ライター;ELSI・社会学)
 iPS細胞、キメラ動物、ゲノム編集、「3人親」体外受精…近年、バイオテクノロジーを応用した先端医療技術が次々と登場しています。これらの社会的な意味や価値について、みなさんと語り合いと思います。
 近年、バイオテクノロジー(生命工学)を応用した先端医療技術が次々に登場しています。本報告では、そのなかからいくつかをピックアップして、その概略を紹介するとともに、その社会的な意味や価値について考えるためのヒントを提示します。言い換えれば、その科学的な意義や可能性ではなく、その倫理的・法的・社会的課題(ELSI)を描出します。
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2016年10月04日

プレイベントのご案内;「あなたは、最先端医療を受けたいですか?」

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る生命操作」に向けて、プレイベントを開催します。
 東京・根津の小さなカフェでの、小さなサイエンスカフェですが、皆様のお越しをお待ちしております。

第8回東京国際科学フェスティバル 登録企画
あなたは、最先端医療を受けたいですか?
LINK to the page
(東京国際科学フェスティバル公式サイトの特設ページにリンク)

日時;10/19, 19:00〜20:30
   (終了後は懇親会を予定)
会場;みのりカフェ
   文京区根津 1-22-10
登壇;鈴木 信行さん(患医ねっと株式会社
   横山 雅俊(#phdjp-WG 主宰)

 高度な医療を受ける機会は、誰にでも、ある日突然やってくる可能性があります。未来の医療や、その基盤となる医科学(医学、薬学、医用工学、生命科学など)のあるべき姿を、患者や医療従事者、医科学や生命科学の研究者がどのように考えるか。また、その成果を社会の中でどのように共有していけばよいのか。それらを、それぞれの立場から考える端緒にします。
 詳しくは、科学祭の公式サイトをご覧下さい。

 事前申込を歓迎します(定員 15 名)。
 お申し込みは 10/18 の 19:00 までに、電子メールで 20161019@kan-i.net 宛にお願いします。
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2016年09月25日

【確定版】開催案内・研究問題ワークショップ「本音で語る生命操作」

 節目を超えて、今年で 11 回目を迎える、日本の科学コミュニケーションの祭典兼総合見本市、サイエンスアゴラ。基本理念のレベルで若干の迷走はあり、且つ他の企画参加者の間でこのサイエンスアゴラの何たるかに関する理解の高低差もあるのが現状ではあります。ただ、そうはありながらも、知名度は着実に上がりつつあり、企画参加者の変遷や多様化も少しずつ進んできました。
 そのサイエンスアゴラ、今年も開催時期が近づいてきました。

 既報の通り、今年の研究問題ワークショップ「本音で語る」のテーマは生命操作にしました。
 その話の展開において、ある隠しテーマが2つあります(まだ伏せておきます)。

 漸く諸事決定し、確定版の開催案内が出来る運びになりました。

サイエンスアゴラ 2016 出展企画
第 11 回研究問題ワークショップ
本音で語る生命操作〜基礎と臨床の距離どうする?〜
(サイエンスアゴラ 2016 公式サイトのリンクはこちらに)

・日時 ;11/5, 13:00〜16:00
・会場 ;産業技術総合研究所臨海副都心センター別館 11 階・多目的室
・出展者;横山 雅俊
     榎木 英介(近畿大医・病理医)
     三輪 佳子(フリー・科学ライター)
     #phdjp 科学と社会ワーキンググループ
・ゲスト;河本 宏さん(京都大学再生医科学研究所;研究者)
     鈴木 信行さん(患医ねっと株式会社;患者団体)
     粥川 準二さん(科学ライター;ELSI・社会学)

・概要;
 必ずしも難病に限らない病気の治療法や治療薬の開発として画期的なものが、近年幾つか出てきています。その中には iPS 細胞を用いた網膜シートの移植や、アデノシンデアミナーゼ欠損症の遺伝子治療など、高度なものもあります。基盤的な知を生む営みとしての生命科学の基礎研究は、少なからぬ場合において病気の治療法開発を視野に入れていますが、研究成果の積み重ねが治療法として結実するまでの道程は一筋縄でないことの方が普通です。他方で、その病気の治療法に人生の光明を見出している患者や医療従事者の存在も大きく、科学と社会の関係における「役立つ」ことの具体例として確固たる地位を占めています。
 基礎と臨床をつなぐ研究の担い手は、多くの場合、臨床医療方面に過剰な期待を抱かせないよう細心の注意を払っていますが、患者やマスメディア関係者には大きな期待を寄せる向きもあります。そうした中で、最先端の科学技術が「役立つ」ことの難しさを、異なる分脈で受け取る事態が往々にして生じますが、それを我々はどのように乗り越えたら良いのでしょうか?
 最先端の基礎医学の研究を題材として、基礎的な生命科学の研究者、医療のクライアントとしての患者、ELSI(倫理的法的社会的問題)の側面から俯瞰する社会学者の間の対話を通じ、基礎と臨床の距離を直視しながら、基礎医学の研究や臨床医療の開発をしなやかに進めていくには何が必要なのかを、本音で考えます。

・およその内容;
 例年通り、前半がトークセッション、後半がワークセッションの2部構成で実施します。
 前半のトークセッションは、サイエンスカフェの型式で進行します。研究者、患者、社会学者の話題提供と対話に、来場者との双方向的なコミュニケーションを交えて、それぞれの方々が大切にしていることと向き合いながら、基礎研究の遂行や治療技術の開発及び実践に潜む問題の所在と、問題意識の共有を目指します。
 その流れを踏まえて、後半のワークセッションでは、基礎研究や臨床医療の開発及び実践のあるべき姿を探ります。その際に、参加者の気付きやひらめきを重視する手法を用いて、全員参加で問題と向き合います。

・当日に向けて
 事前のご来場受付を行います。こちらのこくちーずのサイト(リンク先)よりお願いします。
 当日の来場者受付の枠もご用意しています。

・当日のお願いとルール
 当日は、ネットワーキングチャット Twitter による生中継を実施します。使用するハッシュタグは #bsm16 です。簡易動画中継 Ustream の実施も検討しております。
 当サイトのこちらのページにもありますが、匿名や仮名での発言、固有名詞を伏せての発言を許容しております。ご自身の責任でご本名や固有名詞を明かしたい方は構いませんが、他人に無理強いするのは絶対におやめ下さい。
 当日は軽食程度なら飲食可にしています。散らかさないよう、ご協力をお願いします。

 多くの皆様と、有意義な時間を過ごしたいと思います。
 どうぞ宜しくお願い致します。
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2016年09月23日

生命操作の問題(6);何が問題なのか?

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、生命操作の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す限りで、6回分のエントリーを使って大雑把に整理してみたいと思います。

 最終目の今回は、過去5回分の記事を概観したうえで、何が本質的な問題であるのかに迫ります。

 まず、過去5回分の記事を概観してみましょう。
 第1回では、今回の主題である「生命操作」の語の意味を筆者なりに定義し、そこで想定される治療の方法論の成り立ちとその困難さについて、大雑把に考察しました。治療法開発の流れに関しては、医薬品開発をモデルケースとして論じ、他の治療法にも敷衍できること、治療法の社会実装に当たっては、患者との関係作りや、そもそも研究段階にあることに拠る不確実さの問題が難しさの本質であることに、それぞれ触れました。これらの概観だけでも、ある科学的知見が製品やサービスとして確立するという意味で「役に立つ」ことが如何に難しいかが分かりそうなものです。
 第2回では、「生命操作」や、医療現場での治療行為や病態の理解の基盤となる、生命科学の最先端のごく一部に触れました。時間の都合で分野の所在や扱う問題の一部、及びそれらの意義についての概観にとどまりましたが、如何にその裾野が広く、内容も奥深いかが、その分量だけからでも感じ取れることと、筆者としては思います。研究とひとくちに言っても多様で、臨床医療への道筋を辿っても、医療現場までの距離の遠近それぞれに知の蓄積があります。その積み重ねの一段一段と、積む段階、重ねる段階のそれぞれに、それを乗り越える難しさがあります。
 第3回では、具体的な題材群を7つ挙げて、実際の医用技術の開発や社会実装における現状と課題、論点を大雑把に整理しました。それらの全てに精通するのは困難であり、一つ一つの概観と整理だけでもそれぞれの分野ごとの専門家チームを要するほど、本来は大仕事です(というわけで、今回は各専門家チームの成果を有り難くつまみ食いしました)。この題材群のどれ一つを取っても、遺伝子や細胞、生体組織への外部入力による操作と、その科学的な体系、技術開発の原理、技術の社会実装、社会実装により期待される効果と生じうる問題点や価値衝突のセットが見て取れます。
 第4回では、医療の現場で「生命操作」の技術の効果を受ける存在としての患者と、技術を駆使する存在としての医療従事者の社会的な在りようについて考えました。20 世紀後半からの患者の権利拡大運動や医師患者関係の変容、医療従事者や患者それら自体の変容が、医療や医科学の進歩と平行している一面があります。それをこの拙稿でどこまで表現出来たか、筆者としては心許ないものがありますが、自らの身体を操作されることへの受容に際して、患者が医療従事者や医用技術をどこまで信頼できるかというのは、個別事例に限って具体的に考えても、なかなか難しい問題です。ただ、現在確立した標準医療であっても、どこかでデビュー戦が必ずあります。現在の最先端医療が将来の標準医療になれるかどうかは、研究開発段階にあればこそ、その予測の難しさがあります。
 第5回では、医療や医科学、その背後にある生命科学の研究において多々発生する関係性の発生と在りようの理想像を考える営みとしての、生命倫理や ELSI(倫理的法的社会的問題)を考えました。科学の成果の社会実装において一般によく言われることですが、科学研究でも技術開発でも「やって良いことと悪いことがある」わけで、何を根拠に誰がどう考え、その成果を社会でどう共有するかとなると、難しいところがあります。ことに「生命操作」の場合、伝統的な価値観と最先端科学の担い手の価値観には齟齬を来すことが少なからずあり、ブレーキとしての規範は必要であっても、進歩を止めることを選択肢に含めるとして、実際にある研究や開発を止めるのが“良い”のかどうかを自明には言えません。

 こうしてみると、ある生命科学の基礎的な科学的知見が、臨床医療の現場で治療法として結実するまでの間の道のりは、長く険しいものでことが改めて分かると思います。基礎的な生命科学の研究が知見として確立するまでの道のりだけでも、「本音で語る研究倫理問題リターンズ」のときに筆者が個人ブログで書いた記事の 3)、4) の項にあるように、長く険しいことが普通です。そして、基礎研究や応用研究を乗り越えた先の開発段階や実装段階にも、幾多の困難や新たに発生する問題が山積しています。
 そして、何故そうした問題が発生するかと云えば、そこで問題と向き合う人たちの真面目な思考と議論があるからだろうと思います。今回の連載でも随所にこっそり触れましたが、研究者、技術者、医療従事者の何れも、専門家の特質として“間違えたくない”わけです。この“間違えたくない”ことが、様々な問題の源泉となりうると思われます。
 そして、身体を操作される側の当事者である患者も、通常求めていることは、「症状の軽減、改善、若しくは除去」による「(それを望む場合の)生命維持」又は「生の充実及び質的な向上」であり、やはり“間違えたくない”わけです。
 ただ、医療行為そのものは、それが確立された標準治療であっても大なり小なり手探りではあり、その意味での不確実さは宿命としてあります。ましてや、最先端治療に近いところほどその不確実さは増します。最先端の医療行為は、未解決問題を大なり小なり含み、科学研究一般がそうであるように、ある種の不確実さを内包しています。

 そして何よりも基本的ながら忘れがちな事実として、研究者も技術者も、医療従事者も、患者も、みな人間です。
 その皆々が、それぞれの思いと取り組みに忠実でありながら、他の人たちの“役に立とう”と思って、忠実に生きているはずの存在です。専門家は他の専門家や社会、患者のために、患者は自らを必要としてくれる他の人たち(家族や友人、職場や社会活動の仲間など)のために、生きて何かをしているわけです。
 にも関わらず、なぜ様々な問題解決や課題達成の困難、価値衝突や事態の不整合が生じるのでしょうか?

 月並みな答えかも知れませんが、筆者が考えるに、“全体像を見えている人が少ないから”では無いかと。
 自分の属性(患者、医療従事者、開発に従事する技術者、生命科学の研究者、市民運動家、商工業界や行財政の人材、人文社会系の学識を持つ者など)以外の他の誰かが、本当のところどんなことを思い、考えているのか。そして自分の守備範囲のところで何が起こっているのか。それらを俯瞰しながら、自らの取り組みや立ち位置を認識することが、実は足りていない気がするのです。

 これまで「本音で語る」が取り上げてきたどの題材でも大同小異と筆者は感じていますが、今必要なのは対話を通じた問題意識の共有、それと他者に対する尊重に根ざした、学術的な意味での(個々の論点に関する)批判的検討では無かろうかと、筆者は考えます。

 そのための場を、筆者は多くの人と、手を変え品を変えつつ、持ち続けてきました。
 今年も、その場を秋に東京で持ちたいと思います。
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2016年09月22日

生命操作の問題(5);生命倫理は光明をもたらすのか

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、生命操作の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す限りで、6回分のエントリーを使って大雑把に整理してみたいと思います。

 5回目の今回は、医療を受ける当事者としての患者、医療を施す当事者としての医療従事者、医科学や医療技術を育む研究者や技術者の間に生じる関係のあるべき姿を考える術としての、生命倫理の可能性を考えます。

1)倫理とは?生命倫理とは?
 大雑把に言えば、「倫理」とは“人と人の関係、人と関係を持つ対象と人との間の関係のありかたを考え、その当為像を司る思考”の体系であると、筆者は考えます(誰かの受け売りであることは否定しません)。それを、個々人の生活や生命維持、生の営みの側面において考えるものが生命倫理であると言えるでしょう。学問領域としての発祥は 1970 年代の米国で、思想体系としては比較的新しいものです。
 特に、生の営みの在りようとして先鋭的に問題群が具現するのが医科学や医療技術、医療行為、及び生命科学の基礎及び前臨床の研究であり、それらの個々の場面における道徳的な問題を哲学的に考察することになります。それゆえ、分野横断的な学際領域であることが宿命付けられ、“思想の展開”と“実践”との結合をどう作るかの段階に本質的な難しさがあります。
 医療や医科学に関連した主な守備範囲は、以下の3つの論点群...
「医療現場における医師と患者の関係」、
「医学研究や生命科学研究における研究者と被験者(人とは限らない)の関係」、
「新しい医療技術や生命科学研究法がもたらす倫理的法的問題」
...と云って良いでしょう。

 参考になりそうなページを挙げておきます。
日本生命倫理学会
・京都大学 生命倫理学のあるべき姿
・文部科学省 ライフサイエンスの広場
 生命倫理・安全に対する取組こちらも参照)
・内閣府 総合科学技術・イノベーション会議
 生命倫理専門調査会
・東京医科歯科大 生命倫理研究センター
・大阪大学 生命倫理とは
・内閣府
 生命倫理の基本概念と 医学研究規制のあり方

2)ELSI 問題と医療
 生命倫理に関わる重要な歴史的事象群として、日本学術会議のある特別委員会の報告書は、以下の9つ...
「優性政策」、「戦時下の人体実験」、
「被験者の人権を無視した臨床研究」、
「臓器移植と脳死問題」、「薬害」、
「人工妊娠中絶」、「体外受精」、
「尊厳死・安楽死」、「医療過誤」
...を挙げています(敢えて文言を原文ママにしていません)。
 日本医師会では、より広範囲の問題群について体系的考察を展開しています(下記の「医の倫理の基礎知識」を参照)。

 1990 年代の米国では、ヒトゲノム計画の実施に当たり、その研究の遂行そのものや成果がもたらす社会的影響に研究者たち自身が問題意識を持ってきた経緯があります。特に倫理的、政治的な面からの問題意識が多く出され、最終的に NIH(米国国立衛生研究所)と DOE(米国エネルギー省)によるヒトゲノム計画の総予算のうち3〜5%が倫理的法的社会的問題(ELSI;Ethical, Legal, Social Issues)の研究に割かれることになりました。
 この ELSI は、文字通り生命や身体の取扱に関する“倫理的”“法的”“社会的”問題の総称で、今でこそ概念の拡張によりナノテクや先端技術の社会実装における問題群にも適用されるようになりましたが、科学研究や技術開発、科学技術の社会における実装や運用に関して、本格的な問題意識が自然科学の研究者業界レベルで公式に共有されたのは、恐らくヒトゲノム計画が史上初かと思われます(同等の充実ぶりを持つもっと古い事例があったら、どなたか御教示下さい)。

 この ELSI は、問題群の所在としてはいわゆる古くて新しいものです。しかし、その問題群の所在を認識する枠組みの出現において、科学技術、特に生命科学とその延長線上にある医科学、そして医療技術や医療行為のそれぞれの進歩が影響したという歴史的経緯があります。そのことが、ELSI に関連する取り組みの普及や発展にもまた、影響していると言えそうです。

 参考となりそうなページを挙げておきます。
・日本医師会 医の倫理の基礎知識
・京都大学 大学院生命科学研究科 生命文化学
・東大政策ビジョン研究センター 政策関連用語集
・ELSI 検討委員会
 オーダーメイド医療の実現プログラム
・日本科学者会議東京支部
 遺伝子操作時代の権利と自由

3)生命操作の生命倫理
 さて、それでは実際の生命科学の研究における先端技術としての遺伝子操作や細胞の加工、医療技術としての遺伝子や細胞の操作、医薬品や医療技術の適用、臓器移植や生殖補助技術の適用に当たって、何が問題になっているのでしょうか? クローン技術を例にとって、少し考えてみましょう。

 過去、少なからぬ市民団体が生命操作という語を用いて批判の対象にしてきた遺伝子操作技術として、生殖補助技術やクローン技術があります。クローンの生物学的な定義は「遺伝的に同一である個体や細胞、及び細胞の集団」で、哺乳類クローンの場合、成体の体細胞や受精後発生初期の細胞から採取した核を、除核した未受精卵に移植し、それを仮親となる雌の個体の子宮に入れて「妊娠」させることで生まれます。一種の人為的な無性生殖と言えます。
 1996 年のイギリスでのクローン羊「ドリー」の誕生と、その短命さは、多くの議論を巻き起こしました。科学的な側面に限っても「体細胞の核移植法の確立」という進歩の陰で、遺伝子のテロメア領域が通常の繁殖の場合より短いことと寿命との関係という新たな知見を生み、技術としての新たな困難に直面することにもなりました。その技術の倫理的側面を見れば、羊と同じ哺乳類であるヒトにこの技術を適用することによる、人間の個人としての尊厳を侵害する可能性や、家畜動物の細胞や遺伝子の操作による加工それ自体が自然の摂理に反した人類の独善や我が侭であるとの主張など、負の側面に関する言及が多く出ています。クローン技術そのものには、農林水産業における衣食住資源の安定供給、医薬品の製造、希少動物の保護や再生、実験動物の確保など、(それを求める人たちにとっての)意義や期待もかけられており、クローン技術の是非を巡る議論には、クローン技術そのものやその社会実装が内包する、正負の両側面の価値衝突があります。

 多くの生命科学の研究や技術開発、医療技術の開発においては、成体由来の生きた細胞や組織を用いることに対する期待と違和感、生来の身体を人為的に弄ることに対する期待と違和感の衝突が至るところで見られます。構図として大同小異なので、ここでは詳述しませんが、先天的な運動障害や感覚機能障害、後天的な運動機能及び感覚機能の喪失を、外部装置により回復するロボットスーツや埋め込み型の機器(人工網膜、人工内耳など)の普及活動においても、「機能回復」という加工そのものへの違和感(例えば患者自身による不受容の意思表示、装着に伴う副作用など)や、必要以上の機能増強の是非の問題が云われています。この左記最後者の“必要以上の機能増強”はエンハンスメント問題(身体増強問題)として一部で熱心に議論され、医療を外れた場面でも、リオ五輪に義足の選手が出場することの是非が話題になりました。

 参考になりそうな書籍やページをご紹介します。
・青土社 バイオ化する社会(粥川準二)(こちらも参照)
・種村 剛 生殖技術(reproductive technologies)
・ディスカバー21 予定不調和(長神風二)
・社会評論社 エンハンスメント論争
・NHK 出版 いのちをつくってもいいですか?(島薗進)

4)誰が倫理を論じるのか?
 ところで、この倫理的側面や ELSI 問題は、誰が問題にし、誰が議論しているのでしょうか?

 これまでの科学技術社会論、生命倫理学、科学哲学などの研究の最前線や、一連の問題に取り組む市民運動の活動において、問題提起や議論の展開をしてきたのは、人文社会系、特に思想研究や哲学の方面の方々(と、その背景を持つ一般の市民)が多く、科学研究の経験を持ちながらもその最前線を離れた方々がこれに続くようです(本当はこのことは文献計量で確かめるべきでしょうが、今はその余裕が無く、筆者の見聞と人生経験による予想でしかありません)。筆者の知りうる限りの話にはなりますが、科学研究や技術開発の最前線に実際に従事する研究者や技術者、臨床現場にいる医療従事者、医療の場や日常生活にいる患者が、自らこれらの問題について考察し、議論を展開している例は、最近増加傾向ながら、少数です。フィールドワークの題材として、これらの方々とその見解が取り上げられるのが精々だったと思われます。
 意識の高い研究者や技術者、医療従事者や患者が、それぞれの持ち場の中の連携で、或いはその枠を超えて、ELSI を含む倫理問題に取り組んだ事例は、古今無いわけではありません。しかし、その動きが本格化したのは、今世紀になってからというのが恐らくは実態です。

 ELSI の議論にあたり、その当事者の声が議論に反映されることは重要です。
 科学研究のあり方を科学者の自律的制御だけに任せずオープン化しようと云う流れがあり、医療でも医師患者関係の変容に伴い、やはりオープン化の流れがある中で、倫理問題も当事者と人文社会系の研究者との連携によりオープンに議論されることが求められていくでしょう。ただ、その場の在りようによって、人文社会系研究者の思想的、学術的な議論と、当事者(研究者や技術者、医療従事者や患者)の思いや置かれた現状のかみ合わせが必ずしもうまくいっていない場合も、少なからずあると思われます。だからこそ、例えば東北メディカル・メガバンク機構東京大学 GCOE の研究拠点形成なども、それらの ELSI の取り組みには存在意義があろうものと考えられます。

 次回の第6回では、一連の議論をまとめます。
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