2016年09月22日

生命操作の問題(5);生命倫理は光明をもたらすのか

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、生命操作の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す限りで、6回分のエントリーを使って大雑把に整理してみたいと思います。

 5回目の今回は、医療を受ける当事者としての患者、医療を施す当事者としての医療従事者、医科学や医療技術を育む研究者や技術者の間に生じる関係のあるべき姿を考える術としての、生命倫理の可能性を考えます。

1)倫理とは?生命倫理とは?
 大雑把に言えば、「倫理」とは“人と人の関係、人と関係を持つ対象と人との間の関係のありかたを考え、その当為像を司る思考”の体系であると、筆者は考えます(誰かの受け売りであることは否定しません)。それを、個々人の生活や生命維持、生の営みの側面において考えるものが生命倫理であると言えるでしょう。学問領域としての発祥は 1970 年代の米国で、思想体系としては比較的新しいものです。
 特に、生の営みの在りようとして先鋭的に問題群が具現するのが医科学や医療技術、医療行為、及び生命科学の基礎及び前臨床の研究であり、それらの個々の場面における道徳的な問題を哲学的に考察することになります。それゆえ、分野横断的な学際領域であることが宿命付けられ、“思想の展開”と“実践”との結合をどう作るかの段階に本質的な難しさがあります。
 医療や医科学に関連した主な守備範囲は、以下の3つの論点群...
「医療現場における医師と患者の関係」、
「医学研究や生命科学研究における研究者と被験者(人とは限らない)の関係」、
「新しい医療技術や生命科学研究法がもたらす倫理的法的問題」
...と云って良いでしょう。

 参考になりそうなページを挙げておきます。
日本生命倫理学会
・京都大学 生命倫理学のあるべき姿
・文部科学省 ライフサイエンスの広場
 生命倫理・安全に対する取組こちらも参照)
・内閣府 総合科学技術・イノベーション会議
 生命倫理専門調査会
・東京医科歯科大 生命倫理研究センター
・大阪大学 生命倫理とは
・内閣府
 生命倫理の基本概念と 医学研究規制のあり方

2)ELSI 問題と医療
 生命倫理に関わる重要な歴史的事象群として、日本学術会議のある特別委員会の報告書は、以下の9つ...
「優性政策」、「戦時下の人体実験」、
「被験者の人権を無視した臨床研究」、
「臓器移植と脳死問題」、「薬害」、
「人工妊娠中絶」、「体外受精」、
「尊厳死・安楽死」、「医療過誤」
...を挙げています(敢えて文言を原文ママにしていません)。
 日本医師会では、より広範囲の問題群について体系的考察を展開しています(下記の「医の倫理の基礎知識」を参照)。

 1990 年代の米国では、ヒトゲノム計画の実施に当たり、その研究の遂行そのものや成果がもたらす社会的影響に研究者たち自身が問題意識を持ってきた経緯があります。特に倫理的、政治的な面からの問題意識が多く出され、最終的に NIH(米国国立衛生研究所)と DOE(米国エネルギー省)によるヒトゲノム計画の総予算のうち3〜5%が倫理的法的社会的問題(ELSI;Ethical, Legal, Social Issues)の研究に割かれることになりました。
 この ELSI は、文字通り生命や身体の取扱に関する“倫理的”“法的”“社会的”問題の総称で、今でこそ概念の拡張によりナノテクや先端技術の社会実装における問題群にも適用されるようになりましたが、科学研究や技術開発、科学技術の社会における実装や運用に関して、本格的な問題意識が自然科学の研究者業界レベルで公式に共有されたのは、恐らくヒトゲノム計画が史上初かと思われます(同等の充実ぶりを持つもっと古い事例があったら、どなたか御教示下さい)。

 この ELSI は、問題群の所在としてはいわゆる古くて新しいものです。しかし、その問題群の所在を認識する枠組みの出現において、科学技術、特に生命科学とその延長線上にある医科学、そして医療技術や医療行為のそれぞれの進歩が影響したという歴史的経緯があります。そのことが、ELSI に関連する取り組みの普及や発展にもまた、影響していると言えそうです。

 参考となりそうなページを挙げておきます。
・日本医師会 医の倫理の基礎知識
・京都大学 大学院生命科学研究科 生命文化学
・東大政策ビジョン研究センター 政策関連用語集
・ELSI 検討委員会
 オーダーメイド医療の実現プログラム
・日本科学者会議東京支部
 遺伝子操作時代の権利と自由

3)生命操作の生命倫理
 さて、それでは実際の生命科学の研究における先端技術としての遺伝子操作や細胞の加工、医療技術としての遺伝子や細胞の操作、医薬品や医療技術の適用、臓器移植や生殖補助技術の適用に当たって、何が問題になっているのでしょうか? クローン技術を例にとって、少し考えてみましょう。

 過去、少なからぬ市民団体が生命操作という語を用いて批判の対象にしてきた遺伝子操作技術として、生殖補助技術やクローン技術があります。クローンの生物学的な定義は「遺伝的に同一である個体や細胞、及び細胞の集団」で、哺乳類クローンの場合、成体の体細胞や受精後発生初期の細胞から採取した核を、除核した未受精卵に移植し、それを仮親となる雌の個体の子宮に入れて「妊娠」させることで生まれます。一種の人為的な無性生殖と言えます。
 1996 年のイギリスでのクローン羊「ドリー」の誕生と、その短命さは、多くの議論を巻き起こしました。科学的な側面に限っても「体細胞の核移植法の確立」という進歩の陰で、遺伝子のテロメア領域が通常の繁殖の場合より短いことと寿命との関係という新たな知見を生み、技術としての新たな困難に直面することにもなりました。その技術の倫理的側面を見れば、羊と同じ哺乳類であるヒトにこの技術を適用することによる、人間の個人としての尊厳を侵害する可能性や、家畜動物の細胞や遺伝子の操作による加工それ自体が自然の摂理に反した人類の独善や我が侭であるとの主張など、負の側面に関する言及が多く出ています。クローン技術そのものには、農林水産業における衣食住資源の安定供給、医薬品の製造、希少動物の保護や再生、実験動物の確保など、(それを求める人たちにとっての)意義や期待もかけられており、クローン技術の是非を巡る議論には、クローン技術そのものやその社会実装が内包する、正負の両側面の価値衝突があります。

 多くの生命科学の研究や技術開発、医療技術の開発においては、成体由来の生きた細胞や組織を用いることに対する期待と違和感、生来の身体を人為的に弄ることに対する期待と違和感の衝突が至るところで見られます。構図として大同小異なので、ここでは詳述しませんが、先天的な運動障害や感覚機能障害、後天的な運動機能及び感覚機能の喪失を、外部装置により回復するロボットスーツや埋め込み型の機器(人工網膜、人工内耳など)の普及活動においても、「機能回復」という加工そのものへの違和感(例えば患者自身による不受容の意思表示、装着に伴う副作用など)や、必要以上の機能増強の是非の問題が云われています。この左記最後者の“必要以上の機能増強”はエンハンスメント問題(身体増強問題)として一部で熱心に議論され、医療を外れた場面でも、リオ五輪に義足の選手が出場することの是非が話題になりました。

 参考になりそうな書籍やページをご紹介します。
・青土社 バイオ化する社会(粥川準二)(こちらも参照)
・種村 剛 生殖技術(reproductive technologies)
・ディスカバー21 予定不調和(長神風二)
・社会評論社 エンハンスメント論争
・NHK 出版 いのちをつくってもいいですか?(島薗進)

4)誰が倫理を論じるのか?
 ところで、この倫理的側面や ELSI 問題は、誰が問題にし、誰が議論しているのでしょうか?

 これまでの科学技術社会論、生命倫理学、科学哲学などの研究の最前線や、一連の問題に取り組む市民運動の活動において、問題提起や議論の展開をしてきたのは、人文社会系、特に思想研究や哲学の方面の方々(と、その背景を持つ一般の市民)が多く、科学研究の経験を持ちながらもその最前線を離れた方々がこれに続くようです(本当はこのことは文献計量で確かめるべきでしょうが、今はその余裕が無く、筆者の見聞と人生経験による予想でしかありません)。筆者の知りうる限りの話にはなりますが、科学研究や技術開発の最前線に実際に従事する研究者や技術者、臨床現場にいる医療従事者、医療の場や日常生活にいる患者が、自らこれらの問題について考察し、議論を展開している例は、最近増加傾向ながら、少数です。フィールドワークの題材として、これらの方々とその見解が取り上げられるのが精々だったと思われます。
 意識の高い研究者や技術者、医療従事者や患者が、それぞれの持ち場の中の連携で、或いはその枠を超えて、ELSI を含む倫理問題に取り組んだ事例は、古今無いわけではありません。しかし、その動きが本格化したのは、今世紀になってからというのが恐らくは実態です。

 ELSI の議論にあたり、その当事者の声が議論に反映されることは重要です。
 科学研究のあり方を科学者の自律的制御だけに任せずオープン化しようと云う流れがあり、医療でも医師患者関係の変容に伴い、やはりオープン化の流れがある中で、倫理問題も当事者と人文社会系の研究者との連携によりオープンに議論されることが求められていくでしょう。ただ、その場の在りようによって、人文社会系研究者の思想的、学術的な議論と、当事者(研究者や技術者、医療従事者や患者)の思いや置かれた現状のかみ合わせが必ずしもうまくいっていない場合も、少なからずあると思われます。だからこそ、例えば東北メディカル・メガバンク機構東京大学 GCOE の研究拠点形成なども、それらの ELSI の取り組みには存在意義があろうものと考えられます。

 次回の第6回では、一連の議論をまとめます。
posted by stsfwgjp at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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