2014年12月11日

開催報告 - 研究問題ワークショップ「本音で語る研究倫理問題リターンズ」

 今年で9年目を迎えた、科学コミュニケーションの祭典兼総合見本市サイエンスアゴラ。その歩みと共に、我々の研究問題ワークショップ「本音で語る」も、その9回目を迎えました。このエントリーでは、その模様をなるべく簡単にまとめておきます。といっても、かなり長くなりますが...。

 今年のテーマは、実は第1回(2006 年)に NPO サイコムジャパンのクレジットでも扱った研究不正問題。本年2月の理研 STAP 騒動(こちらのエントリーを参照)は余りに衝撃的な展開でした。そして、近年も各種の研究不正は絶えることが無く、東大分生研での研究室ぐるみでの大規模な研究不正、医薬品の治験における大規模なデータ改竄及びその疑惑3件(ディオバン問題、タシグナ問題、アルツハイマー病研究の J-ADNI)、東邦大医学部での史上最多論文数の捏造事件、東北大工学部の二重投稿疑惑(よりによって学長の案件)など、日本に限っても大規模なものが目立ちます。
 それらの事件がなぜ起こるのか? どのようにすれば減らせるのか? また、研究不正対策の取り組みは大学や研究機関、学会や国政のレベルで多くありますが、それらは有効に機能しているか? それらの問題に向き合い、誠実な研究をやりやすくするような科学コミュニティのあるべき姿を本音で考えようと云うことで、今回の企画を組みました。ゲスト登壇者の選定や依頼では、色々と思い悩みましたが、出来上がってみれば最高の人選になりました。

 今回の開催要項を再録しておきます。

サイエンスアゴラ 2014
第9回研究問題ワークショップ・本音で語る研究倫理問題リターンズ
(#phdjp-WG の公式サイトでの開催要項はこちらに。)

会場:産総研臨海センター別館 11 F 会議室2・3
日時:11 月 9 日(日) 13:00〜17:00
主催:横山 雅俊
   榎木 英介(SSA)
   #phdjp 科学と社会ワーキンググループ
ゲスト:中村 征樹さん(大阪大学全学研究推進機構)
    粥川 準二さん(科学ライター)
    坂内 博子さん(名古屋大学理学部)

 当日の構成は、例年通り前半がゲストの話題提供者によるトークセッション、後半が来場者全員によるワークセッションという2部構成。その進行の模様を、今年もネットワーキングチャット Twitter によるタグ付き生中継しました。その模様がこちらにあります。用いたタグは #rire14 です。生中継は、第4回(2009 年)から毎年フリーの科学ライター三輪さんにご協力を頂いています。そして、今年は JASC 若手の会の方々にも、生中継の一部をお手伝いいただきました。

 では、前置きが長くなりましたが、当日の模様を。

 まずは前半のトークセッションから。2人のゲストによるカフェ形式の話題提供でした。
 1人目は大阪大学の中村さん。あの理研改革委員会のメンバーの1人で、日本学術会議若手アカデミーの1人でもあります。

[中村さんの話の内容の概要]
 文科省の研究不正に関する委員、理研の改革委員会に関わっている。今回は3つのことを話したい。不正への対処の展開の仕方、不正への取り組みに於けるボトムアップの取り組みの重要性、歪んだ競争がある中での研究予算のあり方の3点。
 不正への対処に関して。06 年にガイドラインが策定され、その見直しが去年から始まった。改訂版が発表されたのは今年8月。研究コミュニティにとって、ガイドラインが変わっていくのは大きなこと。研究者の意識は高まっているが、それが良いことなのかどうか?
 米国の事例を参照すると、研究不正とは一般に捏造、改竄、盗用の3つ。他に二重投稿やオーサーシップ(著者名義)の問題など。今回発表されたガイドラインでは、捏造、改竄、盗用(以下3者まとめて FFP と略記)の3つを特定不正行為とした。これが研究業界では国際的な標準になっている。但し、それ以外の事例も不正行為として扱われる場合が多くなり、不正行為の定義に関して米国内で議論が盛んになった。他方で研究不正問題そのものも、70〜80 年代はアメリカ、90 年代はヨーロッパ、00 年代はアジアで大きくなってきた。
 1992 年に全米科学アカデミーで「懸念ある研究行為」への対応という話が出てきたが、研究コミュニティはピアレビュー、評価システム、研究プログラムで対応することに。
 ボトムアップに関して。「責任ある研究行為」を実現していく上で、2つのアプローチが出てきた。トップダウンのコンプライアンス型、ボトムアップの価値共有型。両者を組み合わせてやっていこうという流れが、アメリカ発で国際的になりつつある。研究不正への対応から責任ある研究行為の構築へ。研究不正はコンプライアンス型で対応し、不適切な研究行為は価値共有型で取り組むという感じ。ボトムアップでの取り組みには、現場での様々な問題を通して、現場の研究者が関与していくことが重要だ。しかし、研究の現場には、過当競争や制度の歪みなど、そもそもの問題が山積している。
 そうした歪んだ競争がある中での研究予算のあり方に関して。理研の研究者数の推移を例に述べる。1986 年以降、定年制職員は 500 人以下で、現在 3,000 人近い研究員の大半が任期付き。そこからのボトムアップは困難。更に、研究予算の制度の問題もあり、プロジェクト型の大型予算の受け皿になってきたのが理研で、任期付き研究員に頼らざるを得ない構造がある。
 その他にも問題は山積。歪んだ研究評価の例として、本質的な競争にならないインパクトファクターの偏重、スーパーグローバル構想などの大学改革など。短期的な成果しか見ず、中長期的な視野は欠如している。
 中長期的な視野を提供するのは、行政や政府ではなく、研究コミュニティの側がするべき。しかし、研究コミュニティは社会のシンクタンクになれず、政府の動きに振り回されている。
 それらの点からすると、科学コミュニケーションの現状にも問題がある。現状は目に見える成果に対する広報や宣伝に偏っている。本来の科学コミュニティと社会の真っ当なコミュニケーションのあり方を考えるに、正当な期待、見通しの限界、可能と不可能をきちんと伝えた上で、きちんとした関係作りをふまえたコミュニケーションが必要。結局そこが弱い。それをボトムアップで考えることが重要だ。
[ここまで]

 ここで質疑が1件。理研の予算のプロジェクト問題に関する社会認知の度合や、国立研究機関での職員比率(定年制対任期付)、政策決定に於ける政府側の認識の問題など。

 2人目はフリーの科学ライター粥川さん。大学の非常勤講師として、生命科学や臨床医療の社会的側面に関する講義もなさっています。

[粥川さんの話の内容の概要]
 「研究不正を超えて」という題で話をしたい。大学教員、編集者、翻訳などに携わっている。STAP 細胞の問題に関しては、THE PAGE というネット媒体で定期的に取材や執筆をしている。
 まず、歴史的な文脈で、STAP 騒動の問題を捉える。1981 年以降の生命科学研究において、1998 年にクローン技術、そして ES 細胞(胚性幹細胞)。韓国のファン・ウソクは、元々移植の拒絶反応を防ぐ目的で研究をしていて、その過程で ES 細胞を発見した。ところが、2004 年に大事件に。ネット上でデータ捏造疑惑が発覚し、併せて生命倫理上の問題も。
 ここで少し概念を自分なりに整理したい。山崎茂明さんが自身の著書で研究公正という語を定義しているが、その中に米国では生命倫理の問題は研究倫理に含めていない。しかし、趨勢として、研究倫理と云えば生命倫理と同義扱い。日本の文科省では捏造、改竄、盗用(FFP)の3つに限定している。生命倫理は自立、善行、無加害、正義の4つを原則としている。自分としては、FFP により研究公正が踏みにじられることで、生命倫理の4原則も犯されていくことになると考える。
 06 年には iPS 細胞が現れ、そして今年の STAP 細胞。酸に細胞を浸すだけで「万能」になるというその内容に、自分としてはギョッとした。ES 細胞や iPS 細胞は「多能性」細胞で胎盤にはなれない。STAP 細胞は「万能性」細胞で胎盤になれる。それは受精卵と何が違うのだろうか?と。2014 年2月頃には、New Scientist 等にその点を問題にした記事が載っていた。
 ところが、その後研究そのものに問題点が続出。恐らく STAP 細胞はなかったと云うことになるだろう。
 但し、自分としては、STAP 細胞の ELSI 問題、日本語で云う“倫理的社会的法的問題”の方が検討すべき重要な問題ではないかと考える。注意すべきは、今回の STAP 騒動で小保方氏やバカンティ氏らの方法論が否定されたと云うことであり、STAP 細胞そのものの着想が否定されたわけではないことだ。STAP 細胞の陰で余り注目されなかったが、ファン・ウソク事件で一旦は否定されたヒトクローン胚由来の ES 細胞も、13 年から今年にかけて主要科学誌(Cell、Nature、Science)で3本出ており、確立したと見て良さそうだ。ES 細胞を巡っては、ヒトの胚を壊して作ることそのものや、出生前診断ならぬ出生前治療への応用など、様々な議論がある。
 一連の議論は現代思想8月号の「STAP 細胞が忘却させたこと」にまとめてある。ご覧頂ければ幸い。
[ここまで]

 ここでまた質疑が1件。共同出展者で後半登壇者の榎木さんから「研究倫理と生命倫理の定義の混乱に関して。近畿大学で生命倫理の話を求められて研究不正の話をしたら、学長が激怒し「うちは研究倫理はきちんとやっている」と。よく聞いたら生命倫理の取り組みのことだった。語の混乱をどう思うか?」。粥川さん「狭い意味での研究倫理は、山崎茂明さんに倣って研究公正と云うべき。現場でも混乱がある」。

 そして、流れのまましばし総合討論に。「万能細胞」という表現の問題、STAP 細胞で述べられていた「多能性」が胎盤になる可能性を含むこと、マスメディアの報道内容、FFP の適用における小保方氏の処遇の問題、研究公正がなぜ重要なのかの話、プレスリリースに対する研究者と社会との間の認識や評価の相違等々、内容は多岐に渡りました。

 休憩を挟んで、いよいよ後半のワークセッションへ。今回は時間を贅沢に使えるため、その後半部を2分割しました。その前半を、研究者や大学関係者、意識の高い一般の方々の思いを温める時間に充てて、その思いが充分“温まった”ところでいよいよワークという算段にしました。8年前の「本音で語る研究倫理問題」の時には、後半のワークは大討論会にして、時間も若干延長しましたが、「○○すべきである」的な意見が沢山出て問題意識を沢山掘り出しては共有するところで終わってしまいました。我々はその先に皆で進みたいと考えているので、今回は解探索型のワークにしたわけです。

 ワークセッションの前半で出てきた話は、概略以下の通りです。

[当座の話の内容]
 坂内さんより、生命科学の研究者として。FFP(捏造、改竄、盗用)以外の論点の存在を再認識。STAP 騒動の件では、「万能」「多能」という表現を研究者側はその多くが気を付けて使っているが、そのことがプレスリリースとして社会に伝わるときに、なかなか考慮されない難しさがある、と。
 榎木さんより、STAP 騒動の経過に関して。1月に出た論文に対し、2月に疑義。難波鉱二さんのように実名の疑義もあった(→こちらも参照)が、匿名の告発も(→kaho の日記、11 次元氏など)。匿名に関しては、そうせざるを得ない一面もあるかと。所属を持っている人は、皆そうだったと思う。自分としては、STAP 騒動の問題からメディア露出が増加。近畿大学の広報部長から直々に「大学に傷を付けないで欲しい」と云われたことも。
 発言者失念。理研の内部では、不正の可能性を予見し、研究所として対応すべきという声は実際あったようだが、残念ながら活かされなかったようだ。研究者レベル、ボトムアップで動くことの難しさがある。
 中村さんより。ボトムアップとしては2つある。政策的な観点から云えば、大学のように組織として取り組むか、研究コミュニティが取り組むか。研究不正に対する調査は、米国だと研究公正局(ORI)が直接行っている。ただ、不正防止の取り組みは現場に任せており、それを ORI が監督や支援などする。ただ、警察的な役割に対しては批判もあり、また現場の研究者にとって研究組織の上長はボトムではなく、現場の声を反映させる点での難しさはやはりあるようだ。また、件数の多さと労力の問題ゆえ、対応しきれないという問題もある。
 告発者の権利擁護に関して、複数から。告発者が酷い目にあったという事例は多数ある。日本版 Wikileaks をつくろうという話もあるが、それを公式化しようとすると、日本版 ORI という話になりがち。
 データの公正性確保と利便性の兼ね合いに関して。研究機関で得たデータをサーバに全部保管し、閲覧はできても編集できないようにするのはどうか、と。フランスのボルドー大学イメージングセンターでは、そうした事例がある。研究者にとっての利便性はあるが、不正の抑止になっているかどうかは未知数。研究者にとって、真面目にやりやすい、使いやすいというのは重要。小さなヘマやミスが不正や過誤の背後にある。ばらつきがちなデータの選択の扱いは難しいが、再現性の高低のデータも、実験条件の提示とセットなら追試に供しやすいのではないか。
 研究する態度に関して。CITI Japan(大学間連携による研究者行動規範教育プログラム)の教材には、「仮説を証明するという態度はダメ。仮説を検証するという意識を持つように」という記載がある。初めにストーリーありきで研究を組み、データをそれに当てはめていくのはダメ。加藤茂明研究室(→東大分生研)のところがそうだったようだが、他にも類する事例は複数ある。論文のフォーマットに、学生の実験データを当てはめると自動的に論文になるというやり方のところも。また、何百回も実験をして、チャンピオンデータだけを論文や発表に使うという風潮もある。生命科学の研究に関しては、再現性の線引きをどこにするのかハッキリしないという批判もある。
 Nature が研究者 3,000 人を対象にした意識調査で、研究不正行為をしたか否かに関して問うたところ、FFP と共に、それ以外の怪しい行為(QRP;懸念ある研究行為。不適正管理や著者名義不正、不誠実な研究指導など)がそこそこ行われているという結果に。確信犯による不正行為は防ぐのが難しいが、それを前提に制度を組むと研究がやりにくくなる。しかし、意図せざる不正や過誤も量的には少なくない。
[ここまで]

 そして、いよいよ肝心のワークへ。今やプロのファシリテータとして独立した山本伸さんの力を借りて、シナリオプランニングの手法を用いて、「誠実な研究をする方が有利になる科学コミュニティをどう作るか」を考えました。シナリオプランニングの手法の詳細に関しては、興味のある方はこちらこちらをご覧下さい。

 ワークでは、3つの島に分かれて実施しました。まずは重要と思える論点を、ブレスト的にどんどん出すところから開始。論点は、なるべく極端で過激なものを出すようにして頂きました。それらのうち、対立する2つの論点を2組(論点としては4つ)選び、模造紙の4辺の中点に置いて、模造紙を4つの升目に分割。4つの升目(座標平面の象限)に題名を付けました。その際に重視するのは、STEEP の5点(S;Society=社会性、T;Technology=技術、E;Environment=環境、E;Economic=経済性、P;Political=政治性)。
 それぞれの島でのワークの内容は以下の通りです。

島1;一方の極で、L型、G型の教育が進められる。科学についての発言は、プロでもアマでも全て尊重。役に立たないことを捨てる行為は許されない。他方の極で、専門家のみが発言できる集権的な社会で、ガナバンスと科学アカデミーが重複し、世襲的で独裁的な世の中に。

島2;一方の極で、東大爆発。男性研究者不在。10 年間ばれずに不正を突き通せば受賞。他方の極で、性差別が無く、誰も不正しない社会。研究の手口が蓄積されて不正が起こりにくくなったり、非常に優秀で挑戦的な女性研究者が巧妙な不正をする社会。男性研究者は流罪になる(?)ので、優秀な男性研究者は国外へ。凡庸な男性研究者は淘汰され、不正研究のための裏書が発達。

島3;一方の極で、社会構成員全体が研究者という世界。他方の極で、極端な権威主義。研究者不在で、宗教の世界。技術と知的財産のみでやっていく社会(→今の日本?)。全員研究者であるために、老害化や世襲でダメになったら次世代で復活というジェットコースター型。研究予算も大御所が入っていると採択される。その研究成果を服する研究成果はお蔵入りを余儀なくされる。

 ワークの内容に関して、主催者としてコメントを1つ。
 時間の都合で、事実上途中までと云うことになりましたが、研究組織統治や科学研究そのものをオープンにすること、研究する行為そのものに対する参画意識の醸成と相互尊重、誠実な研究をすることに対するインセンティブの存在の重要性などを再確認するところまでは出来たのではないかと思います。

 最後に、早大理工学部の岩崎秀雄さんから預かったメッセージを紹介しました。「早稲田大学の博士論文取り消しの“執行猶予付き有罪”みたいな判定を許せますか?」という当方からの問に対する答えとして頂戴しました。

<メッセージの内容;ほぼ原文ママ>

 中の事情を知っているものとしては、ある程度仕方のない妥協点だったと思う。
 ただし、重要なこととして、もし再提出させるにしても順番が逆だろう(剥奪した後、やるなら再提出させる)という意見はそれなりに多かったと思う。再提出自体に否定的な教員も複数いて意見していたのも確か。
 また、調査委員会の結論に対する問題点もクリアにされないまま処分が決まったことも、問題を宙づりにした気がするが、その一方で、これを契機に新たなフェーズに入ったわけで、今後の再教育?:再審査のプロセスが適正に行われることを期待するしかない。
 幸い、現場に近い教員の中には少なからず志の高い人もいると認識しているので、期待はしている。また、自分たちとしては、現在+今後の研究指導や審査体制をしっかりやっていくしかないと思っている。

<ここまで>

 最後に、ゲストの皆さん1人1人からコメントを頂戴して〆にしました。

 自分でも当座の締めで一言述べたのですが、継続的な取り組みの必要な題材でありながら、研究不正問題でリターンする状況というのは、決して好ましいものとは言えないと思います。
 他方で、多くの研究者は真面目に、誠実に研究を進めたいと思っており、またそれを実践しているか、又は実践しようと、或いは実践したいと思っています。筆者自身も、大学院生時代以来、多くの分野の多くの研究者と、学会の年会や各種科学イベント、若手研究者向けの研修プログラム(例えば各種サマースクールや学内外の研究交流会など)、学術団体(日本学術会議や各種学会連合)の会合などで人的交流や情報、意見の交換を重ねてきました。その経験から知りうる限り、圧倒的大半の方々は、間違いなく真面目に研究したいはずです。
 しかし、そうした方々の声が、学会全体や科学コミュニティ全体、或いは国策や政策のレベルに反映されるようなことは、これまで殆どありませんでした。そうしたことを重視する認識が出てきたこと自体が、科学技術基本計画で科学コミュニケーションを重視するようになって以降のことと、筆者には思えます。それでもなお、科学研究の現場にいて、研究なる営みを担う当事者のうち、その立場が最も弱い、実際に手を動かしている研究者たち(特に学部生、院生、ポスドクなどの若手)の声は、その当事者ゆえなかなか拾い上げることすら難しいのが実状です。
 そうした声を拾い上げる試みを続けていくことには、積極的な意味がある。そう信じて、これまでもサイエンスアゴラを1つの結節点として、継続的な取り組みを続けてきました。
 もうしばらくは、この取り組みを続けていきたいと、また続けなければいけないとも強く思います。

 何らかの形で、2次的な波及に繋げたいところです。
posted by stsfwgjp at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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