2016年09月21日

生命操作の問題(4);患者団体や当事者の存在

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、生命操作の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す限りで、6回分のエントリーを使って大雑把に整理してみたいと思います。

 4回目の今回は、実際の医療を受ける当事者としての患者や医療従事者の存在に向き合います。
 ともすれば、医療従事者は患者の生命維持や生活の質の向上、病態の除去の助力をするための存在で、患者はその助力を受ける存在、即ち医療従事者がサーバントで患者がクライアントであることが医療の全てと思われがちな節がありますが、必ずしもそうではないことを理解するのが目標です。
 その構図の中のどこかに、実は医科学研究や医療技術開発の当事者の入る余地も、最先端に近い医療になればなるほど、入ってくるのです。

1)医療の理想像の変遷
 古代の呪術医や近代以前の思弁的な伝統医療の頃はさておき、近現代の医学において、医療の専門家として科学的な専門知に基づき医療行為を行うという医療従事者(特に医師)のモデルが確立したのは、実は 19 世紀後半のことです。しかしながら、古代や近代以前から「呪術者」「知識人」「研究者」「技術者」「援助者」の5つの立場を巧みに使い分けてきた医師の在りようは、その医療行為における患者との接点において、今なお大なり小なり残っていると言えます。
 その影響ゆえ、専門知や現場知、及びそれらを駆使する術の総体を、それらを必ずしも知らない存在である患者に提供する医療従事者の行為としての医療は、科学コミュニケーションの用語で云う「欠如モデル」的なものとして長く続いてきました。とはいえ、患者とひとくちに言ってもその構成員は多様で、何かの専門家がたまたまその医療行為におけるクライアントで居るだけと云う他無い場面も多く、他方で 90〜00 年代から社会問題化した各種の医療事故や、世界各地で起こってきた患者の意識向上なども影響し(担い手の例は幾つもありますが、米国の NCPIE=全米患者情報教育協議会を例に挙げておきます)、「患者の権利」の顕在化を経て、医療行為を医療従事者と患者が共に作っていくという考え方が普及してきています。ただ、それは、医療倫理における医療従事者の責務として、標語的に言及されてきた文言(「ヒポクラテスの誓い」や「世界医師会ジュネーブ宣言」など)の実践的な再発見としての意味も持つでしょう。
 また、医療の需要や疾病の社会構造も変容しつつあり、社会の高齢化や慢性疾患の増大、先天性疾患への理解の漸進などにより、「絶対治療・絶対救命」から「現状とのギャップの改善」へ、「治療のための一時的な行為」から「病や体質と向き合う人生の支援」へ、即ち「治す」から「支える」へと、医療行為の重点的な意味合いが変わってきています。
 そうした観点に立つと、やや強引ですが、医療従事者は一般に、自らが何かの専門家でありながら、同時にある専門家と非専門家の間をつなぐ科学コミュニケータとしての立ち位置を持つと言えそうです。例えば、看護士や薬剤師なら、医師と患者、医師と製薬企業、検査技師と患者、医科学者と他の医療従事者をつなぐなど。そうした繋がりの場の集積が、全体として医療行為のシステムを作っていると考えられます。

2)進歩した医学、医療における患者と医療従事者
 医療や医学の学術的、技術的な進歩の存在に関しては言を俟たないところで、その最先端に関連するところはこのシリーズの第2回第3回で触れました。
 その中で、実際にそれぞれの持ち場を担う存在としての、生命科学研究者、生命科学以外の基礎科学の研究者、生体医用工学などの応用分野の研究者、医用技術の開発や社会実装を担う技術者、実際の医療現場で患者と相対する医療従事者としての医師(歯科医師を含む)、看護士、薬剤師、介護福祉士、各種療法士などは、それぞれの専門性を持ちながら、個々の持ち場で責任範囲の仕事を果たして、全体として医療や医科学の構成に寄与しています。
 ただ、丸山真男のいう「タコツボ型とササラ型」を持ち出すまでもなく、その全体像の中で自らの守備範囲を自覚しつつも、他のセクタと積極的に人的、知的、業務的に交流や連携などしている事例は、あればニュースになるような状態と云って良いでしょう。元々、チーム医療の概念が本格的に提唱されたのが 2010 年。医療法改正で薬剤師が医療従事者の扱いになったのが 1992 年。医療業界内での異業種連携それ自体の重要性が認識され、それが形になってきたのはつい最近のことと云って良さそうです。
 そして、実際の医療行為を受ける存在としての患者は、古くは専ら専門家からサービスを受ける存在であり、その選択権はほぼ専門家に委ねられてきました。近年になって、「チーム医療」や「地域医療」(→筆者には、さして意味のある概念とは思えませんが)などの言葉が踊る中で、患者中心の医療という考え方が徐々に普及してきており、診断を下したあとの治療方針の決定に際しては、医師が方針の選択肢を複数提示し、その中で患者が希望するものを選ぶことが、一般化しつつあります(勿論、昔ながらのいわゆるエラ医者が幅を利かせている事例も、まだまだ根強く残ってはいますが)。
 ただ、そうした医療現場における医療従事者と患者の関係の変容において、提示される選択肢が患者にとって満足できるものであるかどうかとなると、一筋縄ではないものもあるでしょう。医療従事者もピンキリなら、ひとくちに患者と言っても多様で、医療従事者が最先端の、又は比較的新しい手法を採用するか否か、患者がそれを希望するか否か、そのために必要な情報を医療従事者側が提供できるか否か、患者側にそれらの情報を咀嚼できるだけの下地があるかどうかにより、自ずと個々の場面はカスタマイズされたオーダーメイド型にならざるを得ないでしょう。

3)主な患者団体
 医療における手技や物質(治療薬、検査薬、医療器具及び衛生用品など)を供される存在としての患者は、左記の通り多様性を内在する社会的存在です。ただ、その患者なる存在になるにあたり、先天的か後天的かを問わず、同じ疾患に似た原因、異なる原因で辿り着く他の方々の存在は無視できないところです。自らの生と積極的に向き合いながら生きていける強さを持つ方々ばかりでもありませんが、精神的な苦悶の状況を乗り越えて、病気や怪我、障害などを受け入れて生きている人も多く存在し、そのうち一部の篤志の方々が同じ境遇の方々と繋がり、互助的組織を立ち上げて、継続的な社会活動に結びつけている事例もあります。
 日本にも、いわゆる患者団体と呼ばれる、そうした互助会として機能する組織が多くあります。
 そうした団体の中には、先鋭的な活動で注目を集めるものも一部にあり、また患者同士の強固なネットワークを作って“科学や医療の番犬”として機能している事例すらあります。

 ごく一部ですが、そうした日本の患者団体を列挙してみます。

患医ねっと株式会社
TRIO Japan
日本移植者協議会
Fabry NEXT
NPO がん患者団体支援機構

 全てを列挙すると大変膨大になりますが、患者団体の一覧が、下記のリンク先(これとて一部)にあります。
・難病情報センター 患者団体一覧
・日本製薬工業協会 患者団体検索
日本の患者会(WEB版)
・日本アレルギー協会 患者会について
・HIV マップ HIV お役立ちナビ(NGO・NPO)

4)主な医療系学術団体
 医療従事者同士の横の繋がりとして、最も著名で強力なものは、云わずと知れた日本医師会です。
 国政に於ける影響力の強さが耳目を集めることが多いのですが、本職の医業や、基盤となる医学(特に臨床系)、医術の思想的基盤となる倫理的側面に関する組織的取り組みの充実度には、やはり一日の長があると云うべきです。
 無論、医療は医師のみによって提供されているわけでもなく、それぞれの担い手同士の互助や連携、自己啓発や現場知の共有を志向する場や組織がそれぞれにあり、最近は少しずつ異業種交流も進んできています(医療系のインカレ学生組織の相互交流やその国際版、地域的取り組みとしては茨城県古河市のケアカフェを、事例群の一部として挙げておきます)。
 それぞれの団体の活発さやオープンさには濃淡がありますが、それらを概観しておくことには、意味があるでしょう。

 主な団体を挙げておきます(網羅まではしないゆえ、軽重の何れにせよ列挙漏れはあります)。このうち、日本薬学会では基礎科学的な内容もかなり扱っています。
日本医学会
日本医師会
日本薬学会
日本薬剤師会
・日本看護協会|日本看護学会
日本介護福祉学会
・公益社団法人 日本介護福祉士会 日本介護学会
日本移植学会こちらも参照)
日本人工臓器学会
・JSGCT 日本遺伝子細胞治療学会
日本生殖医学会

5)どんな活動をしているのか?
 日本の患者団体は、歴史的にはハンセン病患者の人権運動がその端緒と云われ、その後四大公害や各種の医療事件を経て拡大し、草の根運動として発展しています。およそ、疾患別、地域別、病態別に大別されるようですが、一部には医療機関付設や自治体主導、企業主導の団体もあるようです。主な役割は病気に関する啓発、患者同士の互助、対外的な情報発信と各方面との対話です(こちらを参照)。
 医療系団体は、学術団体と職業団体におよそ大別されます。前者はその多くが現場知の学術的体系化、技術の社会実装の知的体系化を志向しています。職業団体は文字通り職業別の互助組織ですが、やはり現場知の集積や体系化と対外的な情報発信に併せて、アドボカシー活動を展開する場合が多くあります。ただ、それぞれの職業団体が何をやっているかは、知名度の高い一部の例外を除き、いまいち見えにくいところもあります。

6)「患者」とは誰なのか?
 ところで、医療のクライアントとしての「患者」とは、医療にとってどのような存在なのでしょうか?
 先述の通り、現実的には、医療行為の受け手ではあり、医療の専門家による主義や物質の提供を受ける立場です。かつては専門知の非対称性による権力構造を前提にした捉えられ方、有り体に言えば“医療の専門家が医療を知らない患者に施すのが医療行為”という認識が強くありました。
 しかしながら、よく考えるまでもなく、何某かの専門知を抱えながら病気や怪我を患った人を、たまたまある文脈、ある場面で医療従事者は患者として迎えるわけです。時には、医療従事者自身が別の医療従事者にとっての患者になることも多々あるわけで、その意味で、そもそも“専門知の非対称性による権力構造”などはじめから虚構同然だったとも言えます。
 ガン専門医がガンを患った経験談が書物になるなどの示唆的な事例も沢山ありますが、左記の患者運動の影響や、科学の知的体系の流通が、“専門知の非対称性による権力構造”の虚構ぶりを再認識させている側面もあると思われます。そのことを最も認識していないのは、恐らく社会的な問題意識の低い、一部の医療従事者ではないかと、筆者には思えてなりません(その最たる具体例が、いわゆるエラ医者や低能な薬剤師、無駄にプライドばかり高い看護士、こころ主義に流れる医療団体の一部のお偉方だったりするのでしょう)。

 次回第5回では、医療や医科学の在りようを律する生命倫理について考えます。
posted by stsfwgjp at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする