2016年08月12日

科学祭を考える(3);日本の科学祭の源流

 科学祭について考える5回シリーズ、その第3回は日本の科学イベントの歴史と、その源流に関して考えます。

1)国際博覧会
 日本で科学祭的なイベントというと、多くの方が思いつくのは国際博覧会でしょう。
 江戸時代以前の内覧会的なものを除くと、1871(明治4)年の東京・九段下での大学南校物産会や京都・西本願寺での京都博覧会が、日本最古の博覧会で、その後明治〜大正〜昭和初期にかけての勧業博覧会(東京、京都、大阪、名古屋、仙台など)がそれに続きました。一連のイベントは産業振興の色合いが強く、工芸品や工業製品の展示が主な内容でした。
 時は流れ、戦後の高度経済成長期の真っ只中。1970(昭和45)年に大阪・吹田の千里丘陵で日本万国博が開催され、これが日本で初の国際博覧会でした。半年間の来場者数 6,421 万人は、北京万博が上回るまで、国際博覧会連合に記録のある中での史上最多記録でした。
 その後、日本で国際博覧会はこの大阪・日本万国博を含めて5つ開催されています。他の4者は、
・1975 年 沖縄海洋博
・1985 年 筑波・国際科学技術博
・1990 年 大阪・国際花と緑博
・2005 年 愛知・日本国際博(愛・地球博)
...です。

2)各地の科学イベントや見本市
 これと前後して、80〜90 年代の日本で博覧会ブームがおき、1978 年、1979 年の宇宙科学博覧会(東京・有明13号地;現在のお台場地区)、1981 年の神戸ポートピア 81、1987 年の未来の東北博覧会(宮城県仙台市)、1989 年の横浜博覧会 YES'89、同年の世界デザイン博覧会(愛知県名古屋市)など、列挙すれば一覧は膨大になります。とはいえ、バブル崩壊と共に博覧会も下火になり、1996 年開催予定だった世界都市博(東京・お台場)は当時の青島都知事の決断で中止となりました。

 これと違う流れで、国際見本市会場における内覧会や見本市が、栄枯盛衰を重ねながら、今に至るまで隆盛を極めています。経済産業省の資料に 2003 年以降の主な動向が、また日本展示会協会の資料に 1950 年代以降の簡単な歴史がまとまっていますが、科学技術になんらかの関係を持つ主な国際見本市を列挙すると、以下のような感じです。
日本国際工作機械見本市(JIMTOF)
東京モーターショー
FOODEX Japan
東京国際ギフトショー
CEATEC Japan
エコプロダクツ(→2016 年開催から「エコプロ」に名称変更)
 ただ、日本の見本市に関する統計資料は未整備のものが多く、且つその絶対数も少なく、業界団体内でも体系的に歴史から実態、今後の展望までを整理した例は余りないようです(筆者が知らないだけかも知れないので、ご存知の方はご教示下さい。筆者の知るものはこちらこちらこちらこちらなど)。

3)地域の科学イベントと理科教育
 これらと平行して、日本各地の科学館や博物館、地方自治体の施設では大小の科学イベントが多数行われており、小さなブースが居並ぶ「科学縁日」的なものから、拠点施設の特別企画として本格的な内容のものまで、実に沢山あります。
 その多くは、市区町村の中での広報や口コミなどにより、地域社会の中で開催が共有されるため、その全ての事例を拾い上げ、把握し整理するのは困難です。その一方で、有志の市民団体や企業の部署など、担い手は多様です。その担い手のごく一部を挙げておきます。

[市民団体]
NPO 法人 butukura(北海道札幌市)
サイエンスサポート函館(北海道函館市)
NPO 法人つくば環境フォーラム(茨城県つくば市)
ダ・ヴィンチクラブ(千葉県千葉市)
NPO 法人くらしとバイオプラザ 21(東京都中央区)
NPO 法人サイエンスリンク(東京都世田谷区)
科学読物研究会(東京都)
サイエンスホッパーズ(東京都杉並区)
北下浦みんなの家天体観測友の会(神奈川県横須賀市)
日立清水理科クラブ(静岡県)
kagaQ(愛知県名古屋市)
科学談笑喫茶室・理カフェ(大阪府)
NPO 法人科学の公園(福岡県福岡市)

[企業の部署]
株式会社リコー(東京都中央区)
 ;旧理研コンツェルンの一つ。サイエンスキャラバンは全国行脚。
株式会社ウェザーニュース(千葉市幕張)
 ;「そら博」と南極観測船しらせの管理、一般ユーザからの花粉データ収集など。
株式会社アイカム(東京都板橋区)
 ;科学映像で世界的には有名。独自のドーム映像プログラムで各地を行脚。
全日本空輸株式会社(東京都港区)
 ;沖縄のサンゴ再生の取り組み「チーム美らサンゴ」の事務局として機能。
エーザイ株式会社(東京都文京区)
 ;岐阜県の川島工園に「くすり博物館」を常設。日本有数規模。
サントリー株式会社(大阪府大阪市北区)
 ;多様な文化事業を展開し、その一つである水問題の取り組み「水育」が有名。

 因みに、こちらには日本の企業博物館の一覧があります。
 2013 年に企業博物館をテーマにした特別企画展が、東京・四ッ谷の帝国データバンク史料館であったそうです(こちらこちらも参照)。

 その他、日本各地の科学館、博物館に関しては、第5回で取り上げます。
 それ以外にも、各地の研究機関(例えば理化学研究所、産業技術総合研究所などの独立行政法人や研究法人、都道府県の各種試験所など)、工場や企業研究所などの一般公開も含めれば、地域の科学イベントの文脈で位置づけ可能なイベントの種類は多岐に渡るでしょう。

 こうした一連の拠点(企業博物館以外の、各地の博物館や科学館、水族館などを含む)の存在や、各種のイベント群の歴史を垣間見ていると、2つの大きな流れが見えてきます。一つは官民の産業振興、もう一つは科学の知識普及や理科教育の振興です。多くの博覧会や見本市は第1者、博覧会の一部や地域の科学イベント(科学館などによるもの)は第2者の性格が強いですが、筆者の観測範囲での実感として、90 年代後半以降は両者の混在を経て、企業側にせよ科学研究側にせよ、徐々に社会との対話や専門家の社会進出という文脈で理解できる取り組みが増えてきたように思います。
 その社会的認知が徐々に、しかし決定的に高まってきたのは、日本では 00 年代中盤以降であり、そのことには、やはり第3期科学技術基本計画において“科学技術コミュニケーションの推進”が掲げられたことが大きく効いていると思われます。

 第4回では、米英の科学祭事情に簡単に触れます。
posted by stsfwgjp at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする