2016年08月10日

科学祭を考える(1);その担い手と型式の変遷

 新しいプロジェクトを始めます。

 科学と社会の関係を考える上で、その前向きなものの1つが、日本各地で開催されている科学祭です。
 科学の魅力と意義を社会で共有し、楽しいひとときを過ごす場と、集う人たち。その場にある人、知、思想、物質の集積が新たな文化の流れを生み出し、或いは社会生活の質的、量的な向上に、また或いは各種の産業や科学技術の振興に、或いは新たな芸術や演芸の創出に、科学祭は科学と社会の接点として機能してきました。
 楽しいことや役立つことが科学と社会の関係の全てではありませんが、その陰日向にキチンと向き合うためにも、科学が人をどのように魅了してきたのか、学者や芸術家、その他の人たちがどのような知を生みだし、社会に豊かさや夢をもたらしてきたのか、そうした日向の部分をしっかりみることには意味があると思います。

 その全貌を明らかにするのは遠い途ですが、その第一歩として、今回からの5回シリーズで、日本と世界の科学祭について、少しだけ考えてみます。
 なお、科学祭に関連する題材として、各種学会における一般向けのイベントやセッションなども視野に入れます。
 背景には、随時後述しますが、筆者がある科学祭の実行委員になったこと、及びその就任までの経緯が関係します。

 シリーズ第1弾の今回は、そもそも科学祭とは何なのか?を概観します。

1)科学祭の定義と科学コミュニケーションとの関係
 こちら(弊会サイト内)でも定義していますが、「科学のある分野、題材に関する専門家とそれ以外の人たちとの間の双方向的なやりとりを促す営み一般」を総称して科学コミュニケーションと呼んでいます。平成23年科学技術白書の記載にもある通り、その想定される範囲は広汎で、誰と誰の間のコミュニケーションを想定するかにより、その目的や場の設定、実際のコミュニケーションの様態は多様なものになります。

 今回テーマにしている科学祭を定義すると、以下のようなものが妥当な線でしょう。

[定義ここから]
 何らかの意味で科学(数学や基礎科学、各種応用的分野、科学技術社会論、科学教育、科学史、科学哲学などを含む)を題材とした体験型のイベントで、期間を定めて、特定の会場または地域で実施し、複数の企画をその内容に含むもの。
[ここまで]

 科学祭の舞台は、科学の魅力や意義を社会と共有し、そこに集う人たちが楽しいひと時や、有意義なひと時を過ごす場として機能しています。それゆえ、科学のある分野の専門家とそれ以外のかたがたとの接点がおのずと発生し、その意味で科学コミュニケーションの実践の舞台の典型の一つという意味づけが可能であると考えられます。

2)科学祭の歴史を概観する
 主要な具体例の紹介はシリーズ第2回にまわすとして、ここではおよその歴史を概観します。
 第3回でその源流を探りますが、科学祭の名を冠して現在の形のものが本格的に始まったのは、1992 年開始の「青少年の科学の祭典」でしょう。同年に東京、名古屋、大阪の3ヶ所で始まり、現在は東京・北の丸の科学技術館で開催される全国大会と全国各地での地域大会が開催されるようになり、地域大会の総数は 50〜100 件にも登ります(2016 年度は 63 件)。多くは実験講座や工作教室、その他体験型企画が一堂に会する縁日型として構成され、多くの親子連れで賑わっています。
 これとは別の流れで、各地の自治体や大学、研究機関、博物館や科学館などが拠点となって、地域の中で同時多発的なイベントを取りまとめて同じ看板を掲げて行う、子どもに限らず大人でも参加できるような、「フェスティバルのフェスティバル」という自己言及性をこめて「メタフェスティバル型」とでも云うべき科学イベント群が現れてきました。そうしたタイプの科学イベントが、今で云う科学祭の典型であり、その出自は幾つかのパターンに分けることが出来ます。地方自治体の教育振興政策や産業振興政策の一環として独自財政で始まったもの、各地の科学館や博物館、大学や研究機関などの特別企画として始まったもの、第3期科学技術基本計画で科学コミュニケーションの推進が唱われてからの政策的誘導で活動助成を得て始まったものの3つに大別されそうです。第1者の例としては、茨城県つくば市の「つくば科学フェスティバル」(1995 年〜)や福岡県の「フクオカサイエンスマンス」(1996〜2015 年)、第2者の例としては、山梨県甲府市(山梨県立科学館主催)の「山梨プラネタリウムフェスティバル」(2006 年〜)や徳島県徳島市(徳島大学主催)の「科学体験フェスティバル in 徳島」(1997 年〜)、第3者の例としては、東京をはじめとする首都圏で開催の「東京国際科学フェスティバル」(2009 年〜)や北海道函館市の「はこだて国際科学祭」(2009 年〜)、愛知県の「あいちサイエンスフェスティバル」(2011 年〜)などが、それぞれあります。
 こうしたイベント群そのものには栄枯盛衰がありますが、流れとしては脈々と今も続いています。

3)科学祭をどう考えるか?
 日本での科学祭の流れを見ていると、理科教育や科学教育の振興、科学リテラシーの情勢や市民の側の自発的な意識向上を目的意識や問題意識に持つ、ボトムアップ型のイベント又はイベント群が多く見られます。他方で、函館や愛知の事例を見ると、科学を利用した町興しという論点も出てきます。
 この町興しという点に着目すると、実は海外での科学祭の多くが町興しの一環として行われている場合が目立ちます。英国のエジンバラやチェルトナムでの科学フェスティバルには日本人が視察した事例がありますが、その英国での科学理解増進の取り組みは歴史が長く、その源流は 1799 年設立の王立研究所によるクリスマスレクチャー、1830 年設立の英国科学振興協会(現在の英国科学協会、略称「BSA」)にまで遡ります。記録にある限り、世界初の科学祭が開かれたのが実はこの英国で、1831 年にヨークで開催された BSA の年会(今で云うサイエンスアゴラに近いもの)が世界初、現在の形の科学祭に限れば 1939 年のエジンバラ国際科学フェスティバルが世界初です。このエジンバラの事例は、元々芸術祭が有名だったことから、新たな地域振興策として始まったものです。
 この左記のクリスマスレクチャーは日本でも 1990 年に開催され、その影響を受けて日本で始まったのが「青少年の科学の祭典」です。
 そうした観点から見ると、科学祭という文化的な流れは、英国初で世界に広まり、科学の理解増進と街興しの2つの柱を持ってきたと言えそうです。

 第2回では、日本の科学祭の主な一覧を概観します。
posted by stsfwgjp at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする