2015年12月20日

開催報告−第 10 回研究問題ワークショップ「本音で語る研究費問題」

 今年 10 周年を迎えた、日本の科学コミュニケーションの祭典兼総合見本市「サイエンスアゴラ」。
 その歩みとともに、研究問題ワークショップ「本音で語る」も今年で 10 回目を迎えました。
 前身の NPO サイコムジャパン主催から引き継いで、科学研究の負の側面、陰の部分と向き合い続けて我々も 10 年、いやそれ以上...。その第1回の頃から問題意識を持ち続けてきて、今まで取り上げなかった今回のテーマ。今年はようやくそのテーマ...研究費の問題を扱いました。
 きっかけになったのは、このブログ...「ある医療系大学長のつぼやき」...と、その主による独自研究「運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究」(通称豊田レポート)です。
 そして、日本の科学技術政策における研究費制度の問題に関して、地に足の着いた研究者目線の言論や主張が、特に高等教育や研究の現場で最前線に立つ方々のそれがなかなか無かったことに関して、長らく思いの丈を募らせてもおりました。
 そうした思いの丈と、強力な論者の力を借りて、第 10 回にふさわしいテーマと人選、内容に出来ました。

 開催要項を再録します。何の偶然か、第1回サイエンスアゴラの時の「本音で語る研究倫理問題」と同じ部屋が会場でした。

サイエンスアゴラ 2015 出展企画
第 10 回研究問題ワークショップ「本音で語る研究費問題〜幸せに研究するために〜」
(サイエンスアゴラ公式サイトの企画ページはこちらに)
(当会公式サイトの案内ページはこちらに)

主催:横山雅俊
   榎木英輔(近畿大医)
   三輪佳子(みわよしこ;フリー)
   #phdjp 科学と社会ワーキンググループ
会場:東京国際交流館プラザ平成 4階・会議室1
日時:2015 年 11 月 14 日(土) 14:00〜16:30
ゲスト;田原敬一郎さん(未来工学研究所)
    豊田長康さん(鈴鹿医療科学大学)

 では、その当日の模様です。

 例年通り、2部構成で実施しました。前半は2人のゲストによる話題提供をサイエンスカフェの型式ですすめるトークセッション、後半はトークの場での問題意識や議論、来場者の思いを受けての全員参加のワークセッションです。
 なお、今年は JST の研究人材キャリア支援ポータル JREC-IN にて、この企画のご紹介を頂いていいます(こくちーずのサイトにリンクをして頂きました)。また、サイエンスアゴラ公式サイトでも、研究者向けのお奨め企画として推薦を頂いております。当日は延べ人数で 20 人ほどの方々にご参集いただき、毎度こじんまりながらも熱いやりとりになりました。来場者の中には筆者の友人である生物物理学者や、大学 URA の方もおられ、関心の高さが伺えました。

 司会者(=筆者)による趣旨説明を経て、まずは前半のトークセッションへ。
 話題提供者1人目は田原さん。政策科学の専門家として、日本の科学技術政策の動向から、日本の研究費制度の現状と問題点にわたって、研究者や大学関係者に対する提言も含めてお話を頂きました。

[田原さんの話題提供の概要]
 研究資金の配分と科学技術の流れに関して、話題を提供する。
 私(田原さん)は理系の研究者ではなく、政策科学を専門とする民間シンクタンクの研究員で、どちらかと云えば文系。そのシンクタンクでは科学技術政策を研究対象にしており、資金配分政策を各国で比較分析したり、その流れを研究したりしている。
 多くの皆さんがご存じの通り、研究者や大学を取り巻く環境は変わってきた。研究資金に関する現象としては、これまでは大学や研究機関を単位とした大学の運営費交付金のようなブロックファンドだったが、現在は政府が政策目的を持ち、戦略的に資金配分をしている。この配分は人材や研究チームではなく、研究能力の高い研究機関や組織への重点的なもので、組織として戦略的に資金を取らなければ行けない状況に。これは日本に限った話ではなく、世界的にも同様の環境変化がある。
 研究資金のありように関して、これまで「繁栄の自治モデル」と「説明責任モデル」の対立があった。前者は「当事者に任せよう」、後者は「社会に対する利益を示せ」というもので、久しく拮抗状態にあったが、2000 年前後に後者が勝利したような状況に。この流れは不可逆的であるが、その一方で、需要側や社会のニーズに牽引される形で研究費配分の優先順位付けや重点化のありかたを見直す動きが出てきた。米国 NSF の Broader Impact(1997 年〜)や英国 UK Research Council の Pathway to Impact 、責任ある研究とイノベーション(Responsible Research and Innovaation;多様なステークホルダーによる共創や共治に基づく、科学技術の知識創造と統治)などの流れがある。
 日本での事情について。科学技術基本計画の第1期〜第4期では、概ね「科学を理解していただく」内容だったが、第5期になって「共に創る」考えが出てきた。第3期以降、科学コミュニケーションの推進が掲げられ、「啓蒙」から「すり寄り」へ、「理解不足だから教えてやろう」から「役に立つからご理解を」へと政策側の戦略も変わってきた。
 問題はどこにあるのか。研究者は知的能力により研究を行い、成果を世に送り出す。各々の研究がその後どう価値を生み出すかを研究者自身はコントロール出来ない。これは研究まわりに限らず、政策レベルの問題だが、評価の矛先は「研究の現場」に向いている。研究成果が価値を生み出すには、長い時間がかかることが一般的。且つ、社会自身も変容する。研究開発も社会も不確実という中で、研究成果を評価することは難しい。では、国による研究開発評価はどうなっているかというと、今のところ“何となく?”文部科学省や経済産業省などの出す政策があり、そこに研究者がボトムアップで出した研究テーマが採択される構造。それゆえ、責任を取らされるのは専ら研究者であり、論文が何本あり、どれだけ引用されて、どういう影響を世の中にもたらしたかのみが問われる。しかし、政策や社会の側の問題は問われない。
 では、どう対処すれば良いのか? 第1に、科学的価値を強調しつつ、経済的及び社会的な波及効果を「盛る」方法。これは駄目。事業仕分けの顛末を考えると分かろう。第2に、成果の出やすい“小粒”な研究開発に投資を集中する方法。これも駄目。インパクトも小粒化し、管理コストも増大し、自分の首を絞める結果に。第3に、先見性を高める戦略。これもやはり駄目。研究開発の成果発現自体が不確実で、社会も絶えず変化する。では、第4の道は…というと、以下の3つの柱からなる対応策が考えられる。「実績の説明」のための評価、「能力の証明」としての評価システムの構築、「提言」としての評価。政策側が、意図する効果それ自体でパフォーマンスを説明し、結果を生み出す仕組みや環境整備を見る仕組みを作り、長期的な視野に立つ。
 今の日本における最大の問題は、“学習する”政策システムをどう作るか。現在は政策競争の時代であり、システムでの競争になっている。大学や研究機関には、実績を説明するための評価が求められる。業績の説明責任をどのように果たし、能力をどのように証明するか。また、上から振ってくる評価をどう扱うかも課題になる。
 さて、研究者はどうすれば良いか? 必要なことは3つ。第1に「自覚すること」。知識には自覚的だが、抽象化やモデル化には弱いことが多いため、研究の展開可能性を提案しにくい。第2に「位置付けること」。自分がなぜ研究出来るのかを知ることが必要。第3に「はみ出ること」。研究者社会からはみ出し、外の世界を知ることが必要。無論、研究者だけが最適化してもダメで、それぞれのアクター(研究者、研究機関、行政)が少しずつはみ出しながら、適切に責任を果たし合う社会システムにしていくことが必要だ。
[ここまで]

 話題提供の冒頭で田原さんより、「幸せに研究出来ていますか?」 その一言で会場に笑いのひととき。
 話題提供の終了後に、質疑応答1件。研究の価値は社会に考えてもらえば良いのでは?との問いに、田原さんからバイオセンシングの例で、本質的なところの抽象化が出来なかった事例の紹介。抽象化能力が展開可能性の提案から研究の価値を社会で共有できる可能性につながるから、研究者も研究の価値を考えなければいけない...と。

 続いて、話題提供者2人目は豊田さん。科学研究の最前線におられ、大学の運営にも携わっておられます。国立大学財務・経営センターの理事長や三重大学の学長を歴任され、現在は鈴鹿医療科学大学(三重県鈴鹿市)の学長。独自研究による日本の研究パワー低下の現状と、その背景にある研究費制度の構造問題に関してお話を頂きました。

[豊田さんの話題提供の概要]
 ここ数年の日本からは、ノーベル賞受賞者が多数出ている。しかし、近年、日本発の論文数が低迷し、リトアニア並になっている。研究費を出せば論文数が増えるという事実はあるが、研究者1人当たりの研究費は減っている。
 医学部のある大学では、収入から教育経費を引いた値が充分大きいが、医学部のある大学と無い大学の間で、この値の差が大きい。論文数の少ない大学では、この値は低い。その後、大規模8大学では別の公的資金によりこの格差が埋められたが、他の大学ではまだこの措置の適用が無く、大学間格差が発生している。そのことが、論文数の減少に影響していると思われる。
 論文数を増加させるのに、何が効くのか。常勤教員数と基盤的収入が実は重要。競争的資金では全然ダメで、論文は増えない。この競争的資金が、日本の研究環境をダメにしたと言える。
 続いて、Times Higher Education(以下 THE)の大学ランキングで、日本の各大学のランクが落ちた話を。なぜ落ちたか? 東大や京大も落ちたが、他の旧帝大も、軒並みもっと激しい勢いで順位を落とした。実は、 THE 大学ランキングは 2014 年までトムソン・ロイター社が評価を実施。2015 年からエルゼビア社に移管。その影響はありそうだ。なお、評価の指標は公開されている。
 その指標をグラフにしてみると、教育は軒並み低下。国際化はどの大学も多少の上昇はあるものの、全て低い。研究はジリ貧で、論文の被引用数が減少。これが一番効いている様子。被引用数の評価は公開されていて、データは研究者コミュニティの大小で調整されている。ただ、それゆえ、大きなコミュニティの出来ている分野は不利。小さなコミュニティで引用されている論文があると、点数が上がりやすい。とはいえ、そもそも日本の大学の被引用数は低く、左記の分野間調整でかえって低下。
 多様な研究分野の強みを反映する指標として、「分野硬直度」を導入し国別に算出してみた。日本は高く、増加傾向。英国、米国、ドイツは元々低く、低下傾向。中国は高かったが低下傾向。韓国は高くて増加傾向。
 分野別調整に関して。THE 大学ランキングで、2014 年でも実施されていたが、2015 年に更に精緻化された模様。国別調整で、非英語圏であることへの配慮は減少した模様。日本はこの国別調整で引き上げてもらっていたが、今回それが無くなった。まとめると、研究競争力の低下に分野硬直度増加による大減点が加わり、国別調整が無くなったことで更に減点。これでドカンとランキング低下したと思われる。
 結論。なぜ日本の研究パワーが落ちたか。大学の基盤的経費が削減され、研究費配分の重点化で選択と集中が行われ、論文の生産性が低下。更に分野硬直性が助長され、大学ランキングの大幅な低下につながったものと推測する。
[ここまで]

 ここから質疑応答を経て、その流れのまま総合討論に。
 質疑の内容も様々。「分野硬直度に関する概念の補足」「研究費の選択と集中が世界的潮流なのに、日本だけランキングが大幅低下した理由」「研究者の時間配分に関する話(FTE=常勤換算で研究時間を測る必要性)」「選択と集中の流れの由来」「日本が研究者の行きたい国になっているのか」など、論点は多岐に渡りました。

 5分の休憩を挟んで、後半のワークセッションへ。
 今回は、2年ぶりにフューチャーマッピング(旧称「全脳思考」)を採用しました。一昨年までの3年連続を含めて、この手法でのワークは通算4回目になります。手法に関して詳しくは、例えばこちらのサイトこちらの書籍を参照。
 筆者の理解する範囲で、手法の概略を簡潔に述べます。ある架空の人物を想定し、その人物が主人公となる物語を考えます。その人物が“120 %ハッピー”になるような物語の展開をグラフ化して考えるのがワークの中心で、6マスのチャートにその物語を書き込んでいきます。そのマスの縦軸が主人公の“幸福の度合”、横軸が時間。そのグラフの曲線が、主人公の幸福さの推移を表します。その物語に、事前に想定して一旦伏せた問題意識の関連する事象を当てはめ、その問題意識の解決策に結びつけるロードマップを作っていきます。その曲線の始点が、そのロードマップの第一歩として、課題解決への動き出しを示唆するというものです。

 後半のワークでは、大学 URA の方と、生命科学の研究者の方の“ハッピー物語”を考えるワークを、2つの島に分かれて展開しました。得られたワークの内容は、概ね以下の通りです。

島1;大学 URA の方の物語。大学・研究機関の立場から、今から3年後に担当者としての幸せなゴールを考える。
 テーマは「競争的資金を如何に獲得するか」。主人公は奈良県在住の外国人女性研究者。恋人が日本人だが、任期が切れると帰国しなければ行けない。そして、腰痛持ち。山あり谷ありの3年間を経て、安定したポジションにたどり着けて、なぜか腰痛が治癒。3年間のうち1年目は“問題点の洗い出し”。良い研究者を呼ぶための(育児を含めた)生活サポートや、失敗した研究データのアーカイブ化など。2年目は“トライアンドエラー”。科研費の書き方支援、挑戦的研究資金の要求、精神的な支援、研究所内での福利厚生やサークル活動など。3年目は“発信”。得られた成果をサイエンスアゴラで発表、地域社会との交流、海外出身者や女性研究者の特別枠の創設など。物語のタイトルは「研究者が 120 %ハッピーになるトータルケアプラン」。これを実現するための第一歩は「同僚に話す」。

島2;ある生物物理学者の物語。研究者の立場から、今から3年後の研究者としての幸せなゴールを考える。
 テーマは「すべきと思う、或いはやりたいと思う研究に使える研究費が欲しい」。主人公は千葉県在住の 10 歳のサッカー少年で、兄弟姉妹4人の3番目(年の順に長女、長男、次男、次女)。ゴールが決められず、レギュラーが取れないところから、3年かけて、ユースチームで初得点するまでの物語。3年間のうち1年目は“研究者のネットワーク化”。事務の外注、クラウドファンド、作業所の設置、仲間の募集など。2年目は“ネットワークの組織化”。優秀な事務員を雇い、研究者の行っていた事務作業を可視化。3年目は“制度の実現”。統一された仕組み作り。話題が多様な内容を含み、ワークの参加者の間で引っかかる題材が続出し、残念ながら時間切れで物語は未完。しかし、鍵になるキーワードが幾つか出てきて、その一々にイメージが膨らむワークに。

 実は、今回のワークを取り仕切っていただいた進行役の冨士森さんは、大学や研究機関を主な顧客とする実験機器の卸売業者の経営者。過年、薬科大学のインカレ団体「薬学生の集い」(現在の日本薬学生連盟)のイベントで知り合った井上義之さん(現在は株式会社メディエールの社長で薬剤師)のご紹介で、その井上さんもワークショップの手法開発に熱心。そのご縁で、たまたま冨士森さんとの出会いもありました。

 最後に、ゲスト3人のコメントを頂戴して〆にしました。
 時間は予定を大きくはみ出し、規定の時間を 20 分ほど超過してしまいましたが、それでも来場者の皆さんには3時間弱の長丁場も短くお感じ頂けたようで、主催者としてはホッとするところです。

 主催者からのコメントを少々。
 2006 年のサイエンスアゴラ「本音で語る研究倫理問題」では、研究不正と研究費不正の問題を隣接する問題群としてひとまとめに扱い、公正性を実現していく上で何が問題であるのかを本音で考えました。当時は後半のワークも手の込んだ手法にはせず、大討論会にしました。しかし、ずっと議論ばかりしていても煮詰まるばかりで発展性が無く、2009 年の第4回くらいからは、なるべく簡便な手法の作業を入れるようにしました。ワークの手法は変遷を経て、現在のようなシナリオ型のワークを通して、隠れた本音とその融和や相違点の可視化を志すものになりました。
 その一方で、研究公正(第1回「研究倫理問題」や第9回「研究倫理問題リターンズ」)やキャリア問題(第2回「ポスドク問題」)、高等教育問題(第4回「大学とは何か」や第7回「専門職学位(薬学6年化)」)、社会の中の科学(第6回「夢の薬(医薬品 2010 年問題)」)などのテーマと隣接して、研究を左右する政治や経済の問題は常に真横にありました。それらを真っ正面から取り上げる機会と腕力がなかなか揃わず、我々にとって科学研究における制度面や経済の問題は長年の宿題でした。
 その絶好機を窺っていた一方で、大学院重点化政策以降の高等教育の動向、大学などの運営費交付金の漸減と競争的資金の拡充の背景にある産業構造や国際競争の情勢の変化、世界各国の科学技術政策の動向、それらの中での日本の立ち位置の微妙さなど、様々な問題群が浮かび上がってきました。そして、それらの問題群一つ一つが、日本の高等教育や科学研究、技術開発に大なり小なり影を落としてきたことを、我々はこの 10 年間目の当たりにしてきました。高等教育や科学研究、技術開発の現場で最前線に立つ1人1人は、地道な成果の積み重ねで全体としては華やかな成果を上げつつも、必ずしもその報いは充分ではなかったでしょうし、置かれた環境も多くの場合は厳しく、その厳しさは年々増しているとさえ思われます。
 こと科学研究の現場に関しては、置かれた環境の厳しさは年々増しています。研究の世界にありながら、研究そのもので思う存分その能力をなかなか発揮出来なくする構造が、研究の現場でも、研究を動かす制度面、研究現場の外からの影響の面でも、少なからずあります。それらの構造要因は研究の現場の中だけにあるのではなく、社会や制度の側にもあります。そして、そのことを科学研究や制度運用の当事者、特に最前線や組織の末端にいる者がなかなか言い出しにくいのも実態です。
 ただ、ある分野の科学研究のもたらした負の側面を乗り越えるのにもまた別のある科学が力になったように、科学に関わる多様な担い手が知恵や情熱を繰り出していくことで、苦難を乗り越えていけるのではないか…と。結局のところ、研究者にとって研究しやすい環境や研究費制度があれば、研究者のパフォーマンスが上がり、良い成果が出るのは理の必然です。しかし、それをビジネスの世界で云う選択と集中で出来るのか?となると、ビジネスの世界で成果主義が様々な歪みを生み出したように、或いはそれ以上に、実際には費用対効果の低下や研究公正問題の源泉などの歪みを生んでいるようにも思えるのです。
 その苦難を乗り越えていくための一歩としてはあまりにも小さいながら、この企画の続きがその一歩一歩を大きな歩みに出来ることを信じて、我々は歩みを続けたいと思います。
posted by stsfwgjp at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする