2015年09月27日

研究費問題(6);何が問題なのか?

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、研究費の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す範囲で、大雑把に整理してみたいと思います。
 今回はその6回シリーズの最終回です。

 第6回の今回は、ここまでの議論を整理し、問題点の抽出を試みます。

 その前に、5回分の内容を整理してみましょう。
 第1回では、科研費の概要紹介と現状、及び問題点に関して取り上げました。科研費は現在の日本における最大の研究助成で、その対象とするのは全ての学問分野であり、その意味での門戸は広いのですが、新規課題の採択率が 20〜25 %程度と競争率は激しく、その意味では狭き門です。総額ベースでは、近年は伸び率が鈍化傾向ながらも右肩上がりではありますが、それ以上に応募件数が急増しており、採択課題1件あたりの助成金額は減少傾向です。長年に渡る制度改訂で、繰り越しや前借り、間接経費の導入など昔に比べれば使いやすくなってきましたが、審査の不透明性や支給先の偏り、制度変更頻回ゆえのわかりにくさ、応募のノルマ化の実態による現場の多忙化など、問題点も多くあります。
 第2回では、大型の競争的資金の導入と国立大学の運営費交付金削減の功罪を考えました。JST の戦略的創造研究推進事業や AMED、NEDO 等の大型研究助成が実施され、その多くは複数の研究機関にまたがるプロジェクト型研究の助成として機能しています。他方で、長年国立大学の財政を支えてきた運営費交付金の削減により、個々の国公立大学の財政は徐々に弱まってきた実態があります。競争的資金の観点から云えば、その運営の厳しさは私立大学も大同小異で、研究機関としての大学を維持する難しさは共通の課題です。そして、そこに科研費の間接経費の一部が大学の収入になる事実が絡み、現場の研究者=大学教員の多忙化に拍車をかけている実態もあります。
 第3回では、民間の研究費に関して取り上げました。その実態や全貌は実は余り知られていませんが、研究助成の総額ベースでは、民間の大学や研究機関に対する研究助成は、科研費のそれを上回ります。しかしながら、その使途(具体的には対象とする学問分野や、期待される成果の内容など)の制限や、1件あたりの助成規模、産学官連携における知的財産権の管理や利益相反の問題など、特有の問題群が存在します。
 第4回では、日本の研究パワーが低落傾向にあるという、衝撃的なデータをご紹介しました。研究成果の出力として論文数を考えることの是非は後述しますが、その指標を用いてさえ、日本の科学研究の活力が下がっていることを示唆する一連のデータは、危機感を抱かせるに充分です。併せて、日本の大学や研究機関における人材動向の推移や研究者の研究時間確保の困難など、研究パワーを低下させる要因もデータで実証されています。一見分かりやすくて魅力的な“科学技術イノベーションの推進”における、ビジネス的視座にたった“研究費の選択と集中”や“研究課題の重点化”が、必ずしも大学や研究機関にとって効果的に働いていないことを示唆するといえそうです。
 第5回では、日本の科学技術政策の近現代史を概観しました。筆者の筆力不足のため、概観としての力強さには欠けますが、日本の科学技術政策においては、社会(特に政財界、産業界)から成果を求められる形で、産業振興とリンクしての科学技術振興という側面が色濃く出ていること、及びその反動として基礎科学重視の姿勢もある程度は見えているものの、成果還元や社会参画、科学研究のオープン化の流れにあって、全体のバランス(基礎研究と応用研究及び開発、社会実装と社会との対話や社会進出、理解増進と社会参画)をどう取って良いかが試行錯誤の渦中にある様子が、それぞれ見えてきました。

 財政面に関して云えば、大学の財政基盤の強化それ自体は、各大学の関係者も文部科学省の側も、はたまた政財界も恐らくは重要視していることでしょう。しかしながら、現実には国公立大学にせよ私立大学にせよ、その財政面に関する現状には厳しいものがあります。ことは国公立の研究機関(独法など)も恐らくは同様で、その費用対効果に関して、社会からの厳しい目に曝されている一面はあります。
 昨今の産業界、商工業界における激しい国際競争ゆえ、国策としてイノベーション推進に血眼になる政財界関係者の本音は、理解できないわけではありません。しかしながら、:イノベーションそのものは、予定通り効率的に、また意図的に起こせるものではありません。況や、科学研究などは「未解決の科学的な問題に関して、その答え探しをして、探求法や成果も含めて、その正否を世に問う」一連の流れの中で、その成果が確立していくものである以上、イノベーション同様、やはり予定通りに成果が出るものではないと認識すべきでしょう。これらに関して、ビジネス的な PDCA サイクルで評価するやり方が正当なのかどうかに関しては、よく考える必要があるでしょう(というより、そもそも馴染まないと思われます。そもそも、PDCA は継続的に動いているビジネスにおける品質管理の手法です)。

 では、研究成果や個々の学問分野の意義を、研究費制度の支給側や運用側はどう評価すればよいのか? これまで通り、得られた成果や論文数で評価するのが良いのでしょうか? 恐らく、多くの方々が、これが最善でないことを良くご存じかと思います。1人あたりの件数は少なくても、その少数が特大ホームランという事例は、やっぱりあります(具体例はここでは挙げません)。これまで大きな実績を上げた研究者が、その後も実績を上げ続ける保障も、確実かと云われると否でしょう。しかしながら、基盤的な研究費の獲得のための競争は、多くの場合、大小の研究成果の存在が前提になります。
 ただ、代案はどうか?となると、専門家による総合的評価ということになるのでしょうが、それを万人が理解可能、検証可能な形で用意するのは、容易なことではなさそうです。
 この問題が、科研費や大型研究予算の、審査の不透明性の根っこにあると思われます。

 そして、研究費の制度運用に関して無視できないのは、以前から絶え間なく存在し続けた研究不正、研究費不正の問題です。
 文部科学省でも、各学会でも、個々の大学や研究機関でも、不正防止を含めた研究公正の実現や維持に向けての取り組みは多くあります(紙幅の都合で具体例は省略しますが、興味のある方は独自でお調べになるか、弊公式サイトのこちらをご覧下さい。文部科学省のページ2つ...こちらこちら...と、総務省のこちらこちらも参照しておきます)。しかしながら、その不正防止の取り組みとしての場当たり的な対応の積み重ねゆえ、研究費制度の不便化を招いている実態もあり、運用側の運用しにくさや、使う側の使いにくさに結びついている一面もあります。

 こうして色々考えてみると、1つの基本的な考えに辿り着きます。
 勇気を出して述べてみますが、結局のところ、根本的には基本的な理念が不在、又は十分に練られていないままで、国際情勢や社会の実状に振り回されて、場当たり的な政策や個々の対応を後付の理屈で正当化しているだけなのではないか? 科学技術のあるべき姿から話を起こして、個々の研究者にとって本当に研究がやりやすく、科学研究を支援したい人たち(政財界、産業界、商工業界、一般の市民)にとって、本当に支援がしやすい科学コミュニティをどう建設し、動かしていくのか。そこをきちんと考えられていないのではないか?
 研究費制度の問題に関して云えば、研究者にとって誠実な研究をしやすく、意図した研究成果を出しやすくするような研究費制度がどのようなものであるのかが、研究者の立場から余りキチンと考えられていないのではないか。
 いや、科学技術白書の書き手の皆さんは、総合科学技術会議や日本学術会議の関係者は、はたまた有志の一部の方々は、それを何とかしたいと思って、色々と試みを重ねていると思います。それはどのくらいキチンと形になり、有効に実っているのでしょうか。

 研究成果の評価は、いうまでもなく論文の数やインパクトが全てではありません。
 ノーベル賞級の研究成果を出しうる人材は、今の日本にも多く存在します。しかし、そうした方々が現状の日本の科学研究の場で、先人達と同程度以上に伸び伸びと活躍できるような、そしてそうした方々を思う存分支援できるような科学コミュニティが、今の日本にあるでしょうか?
 そして、そうした科学コミュニティを実現できるような、例えば税制やキャリアパス、法制度や財務制度が、今の日本社会にはあるのでしょうか?

 ことは、大学や研究機関、研究者だけの問題ではありません。
 政財界や産業界、商工業界、そして一般の市民などの側の意識や認識も問われているのです。
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2015年09月26日

研究費問題(5);日本の科学技術政策の歴史

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、研究費の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す範囲で、大雑把に整理してみたいと思います。
 今回はその6回シリーズの5回目です。

 第5回の今回は、昭和後半以降の日本の科学技術政策の動向の概略を整理します。
 一連の問題群に関しての理解の助けになるはずです。

 手っ取り早くは、以下の各文書から概要を把握できます。

・産総研 科学技術政策の経緯
・日本国際問題研究所 日本の科学技術政策
・東京財団 日本の科学技術政策が抱える課題とは
・国立国会図書館 科学技術政策とは何か
・日本学術会議 「日本の科学技術政策の要諦」について
・山川出版社 科学技術政策

 上記第1者の産総研・神徳さんのメモは、1959(昭和 34)年以降の主要な出来事が年表の形でまとめられており、状況整理に役立ちます。第4者の筑波大・小林信一さんによる論考は国内外の情勢を幅広く組織的網羅的に整理しており、科学技術政策論を学ぶ上でも役立ちそうです。第2者は民間シンクタンク研究員の私論、第3者は東京財団の公開シンポジウムの記録です。第5者の日本学術会議の資料は、国内外の情勢をふまえて、日本が持つべき視座と使命を掲げ、それらをもとに日本の科学技術政策が何を課題に掲げるべきかを述べています。第6者は書籍の紹介記事で、件の書籍は明治期以降の日本の科学技術政策を概観しています。

 イノベーション政策に関しては、以下が参考になるでしょう。

・科学技術・学術政策研究所(NISTEP) 研究開発とイノベーション
・科学技術国際交流センター 「政策のための科学」のための歴史的研究

 文部科学省による文書としては、以下が参考になると思われます。

・文部科学省
 科学技術政策概論
 科学技術白書

 後者の科学技術白書のうち、(平成25)年版の「我が国の科学技術政策を取り巻く動向」には、直近の科学技術イノベーション政策の推進に至る経緯が併せて述べられています。

 科学技術白書の目次や本文、産総研・神徳さんのメモ、筑波大・小林さんの論考を中心に見ていくと、割とすぐに気付くことがあります。
 それは、科学が社会の期待に応えることを求められ、多くの場合課題解決型の学際的で総合的な取り組みを求められていると云うことです。その期待において、その課題解決になるような科学的知見の積み重ねと、成果の社会的な実装が強く希求され、科学や科学者がそれに積極的に関与していくことが求められています。

 科学技術白書の内容の変遷を見てみましょう。平成改元後の内容を概観します。
 研究者業界や知を生み出す環境に問題意識が国策レベルでしっかり向けられるようになってきたのは、この 10 年ほどのことのように思えます。科学技術白書が研究費制度や研究人材の動向を特集したのが平成8年版(1996 年)、オープンサイエンス=開かれた研究社会の意義についてまとめられたのが平成9年版(1997 年)。
 その後、平成 14 年版(2002 年)にイノベーションの話が登場し、平成 15 年版(2003 年)で人材の重要性に関して特集が組まれ、平成 17 年版(2005 年)に社会のための科学技術という考え方が再登場します。平成 19 年版(2007 年)には基礎科学の重要性と科学技術振興の意義についての言及がありますが、平成 20 年版(2008 年)では国際競争で世界各国と伍していくためのイノベーションという考え方が登場し、以後はそれぞれの話題が総花的に巡回して取り上げられているようです。

 それと平行して、1995(平成7)年に科学技術基本法が制定されて以来、5年おきに策定されるようになった科学技術基本計画の内容を見てみましょう。その中には、第3期から含まれるようになった科学コミュニケーションの推進もありますが、第1期(1996〜2000 年)での研究開発への投資拡充、第2期(2001〜2005 年)での研究課題の重点化(生命科学、情報通信、環境、ナノ材料を重点分野、エネルギー、製造技術、社会基盤、フロンティアを基盤分野に策定)や研究システム改革(競争的資金、科研費の間接経費、人材流動性、若手登用など)、第3期(2006〜2010 年)での科学技術イノベーション政策の推進、第4期(2011〜2015 年)での震災復興、イノベーションの具体化、研究組織の産学官連携や地域連携の推進など、黎明期の第1期を除けば概ね「科学技術を使って社会のために何かをする」「そのために制度を整備する」というものになっています。
 改めて、過去の4期分の概要に関して、科学と社会との関係に関わる部分を標語的に整理すると、以下のような感じになるでしょう(今回ご協力いただく田原敬一郎さんから頂いた資料に記載された表現を拝借します)。

第1期;科学技術に関する学習の振興及び理解の増進と関心の喚起
第2期;社会のための、社会の中の科学技術
第3期;社会・国民に支持され、成果を還元する科学技術
第4期;社会と共に創り進める政策の実現

 ふと思えば、第1期の期間中の 1999 年は、ハンガリーのブダペストで世界科学会議(通称ブダペスト会議)が国連教育科学文化機関(UNESCO)と国際科学会議(ICSU)の共催で開催され、これからの科学のあり方、科学技術のあり方を科学者の側から問い直す試みがなされました。その会議で出された世界宣言(科学と科学的知識の利用に関する世界宣言;その全文はこちらに)において、21 世紀の科学の責務として以下の4つの概念が打ち出されました(文部科学省のこちらも参照)。

「知識のための科学」
「平和のための科学」
「開発のための科学」
「社会における科学と社会のための科学」

 大学や研究機関、科学者の社会的使命として、知的探求がもたらす社会的影響は否が応にも大きくなってきています
 ただ、だからといって、それが研究者や研究機関のパフォーマンスを上げる方向に、また研究者にとって研究しやすく、研究機関にとって円滑な運営のしやすいように、常に働いてきたかどうかとなると、どうでしょう?

 シリーズ第6回に続きます。
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2015年09月23日

研究費問題(4);日本の研究パワーと研究費

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、研究費の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す範囲で、大雑把に整理してみたいと思います。
 今回はその6回シリーズの4回目です。

 第4回の今回は、昨今ネット上で話題のあるブログの内容をふまえて、日本の研究パワーが低下傾向にある問題と、その背景について考えます。

 研究パワーが低下傾向? この 10 年間は日本から自然科学3分野のノーベル賞受賞者が続々と輩出されているではないか! 日本の科学研究の水準は高く、多くの優れた若手も活躍して、優れた成果を多く出し続けている。どこが研究パワー低下なのか? そうお考えの方は、きっと多いと思います。

 しかし、実は現在の日本のおかれた危機的状況を訴える声はあり、その実態を鋭くあぶり出しています。
 その一部を挙げておきます。

・インターネットで読み解く
 第435回「2016年に国立大の研究崩壊へ引き金が引かれる
 第479回「無残な科学技術立国、人口当たり論文数37位転落
 第480回「瓦解していく科学技術立国、博士進学者は激減
 第488回「国立大の2016年研究崩壊に在京メディア無理解

・サイエンスポータル
 論文数減少と国立大学法人化の関係

 上記の記事で紹介されている豊田長康さんは、鈴鹿医療科学大学の学長です。国立大学財務・経営センターの理事長時代になさった独自研究が、波紋を呼んでいます。

運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究
LINK to the page
(豊田さんのブログ記事における言及はこちらに)

ある医療系大学長のつぼやき
民間企業人は科学技術政策の「選択と集中」をどう考えているのか
(追記 at 11/5, 23:45; こんな記事もあります。
はたして日本は今後もノーベル賞をとれるのか?

 豊田さんのデータによる、世界各国の論文数が日本だけ減少していることを示すグラフや、論文数シェア(=占有率)の異常な低下を示すグラフは、日本の研究パワーの低下をハッキリ示しています。危機感を感じない方がおかしいと云うべきでしょう。
 主要な論点を抽出すると、概略以下の通りです。

・国公立大学では、大学1つあたり、研究者1人あたり、科研費採択1件あたりの論文数が減少傾向。
・国公立大学間の格差もあり、医学部付属病院を抱えているところは財政面で比較的マシ。
・しかし、総じて経営に苦しんでいる大学が多く、旧帝大クラスでも運営交付金削減を付属病院収入や各種競争的資金で穴埋めして、どうにか経営維持している状況。
・国民1万人あたり、GDP あたりの研究者数、研究予算、論文数は世界各国でも下位に属し、しかも近年は論文数が低落傾向。
・論文数の減少傾向は顕著で、先進国のうち論文数が減っているのは日本だけ。
・日本の研究者が研究に従事できる時間は減少傾向。

 重要な論点は豊田さんの独自研究に多く含まれているので、是非ご覧頂ければと思います。

 他にも、日本の科学技術政策に関する主要な論客は何人かおられますが、もうお1人、立命館大学の兵藤友博さんを挙げておきます。

立命館大学 日本の科学・技術政策
科学・技術政策は日本の科学・技術を押し上げるものになっているのか

 この上記の論説によれば、科学技術政策の策定に当たり、政財界(特に経団連など)の意向が大きく反映され、“科学技術イノベーションの推進”の御旗のもとに、産業政策の振興と同一視せんばかりの状況があるようです。
 有り体に言えば、「研究資金の選択と集中により、産業経済に於ける日本の国際競争力を高める。そのために、重点的に取り組む領域を定め、産学官連携により効率的なイノベーションを推進する。また、人間力と高度職業能力のある人材を生み出せる大学にするために、海外からの人材招聘や教育内容の改革を行う」という感じで、ビジネスの論理により教育と研究の“効率化”と“高出力化”が目指されている印象です。

 その結果が、実際には研究現場における金回りの悪さや、(それを論文数だけで評価することの原理的な限界は認めつつも)日本全体及び各大学の研究パワーの低下、研究現場の運営困難や過度の多忙に結びついている大きな構造がある...と、どうやら言えそうです。

 ただ、救いがあるとすれば、上記の豊田さんのブログ記事「民間企業人は科学技術政策の『選択と集中』をどう考えているのか」にも記載があるとおり、民間企業や財界関係者の中にも危機意識が芽生えていることです。中には選択と集中による効率化という考え方そのものに対する批判(ないし自己批判)とも取れる民間企業関係者のご意見もあるようで、研究者コミュニティの意識がそうであるように、政財界の認識もある程度の多様性はあるようです。

 文部科学省もさすがに危機感を抱いてはいるようで、国立大学経営力戦略という文書の中で提言を出しています。財務基盤の強化や教員の活躍などを文言として含め、前者の財政云々に関しては収益事業の明確化、寄付金収入拡大、民間との連携拡大に関して、後者の教員の活躍に関してはテニュアトラック制の拡大や年俸制などに関して、それぞれ言及があります。しかし、財界や産業界の意向を大きくふまえた旧態依然?のイノベーション推進戦略に乗っかるような内容も相変わらず目立ち、ポスドク問題の政策的失敗があるにも関わらず新たな大学院の創設を見込むなど、危機感による焦りが明後日の方向を向いている印象は拭えません。

 シリーズ第2回で、こんなことを書きました。

科研費応募の手間が増えることは、研究者にとって研究や教育にかける手間と時間が減ることを意味します。
JST や AMED 等の大型予算ともなれば、申請や報告などの書類仕事の負担は否が応にも増すことになります。(中略)個人が研究の片手間で行うのは、現実的にはほぼ無理です。

 上記で述べた研究パワーの低下に、研究者の研究に従事する時間が減っている現状が影響しているのはほぼ間違いなく、その構造的要因の一つとして、競争的研究資金の国策的推進による研究現場の事務的負担増大が影響している可能性は大いにあると云って良いでしょう。実際、JST 研究開発戦略センターの調査結果「我が国における研究費制度のあり方に関するアンケート調査」によると、競争的資金を獲得した研究者たちの悲痛な声が聞こえてくるようです。

 今まさに多忙で本業に支障が発生し、困っている研究者をどうするか? ここまで国際競争力を失いつつある現状を招いた事態をどうやって立て直していくのか? 元々、効率性で把握することのなじまない教育や研究なる営みを担う大学や研究機関を、ビジネスの視点で制御しようとする発想それ自体に対する批判的検討や反省はあるのか? 大学や研究機関の運営も経済現象の一部であるとは言え、費用対効果の観点からその運営を考えてみると、短期的なものから中長期的なものまで、経済的な、或いは政策論的な、様々な問題が持ち上がっているように見えます。

 では、そうした問題群はどのようにして生じてきたのでしょうか?
 シリーズ第5回に続きます。
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2015年09月22日

研究費問題(3);民間の研究費

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、研究費の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す範囲で、大雑把に整理してみたいと思います。
 今回はその6回シリーズの3回目です。

 第3回の今回は、政府各省庁や各種国研(NEDO や AMED、NIMS 等)、科学技術振興機構(JST)以外の機関が用意している、民間の研究費について考えます。

1)民間研究費の例
 民間でも研究費助成を行っている企業及び財団などは、その一部を列挙するだけでもこんなにあります。

大川情報通信基金
・公益財団法人立石科学技術振興財団 研究助成(A)(B)(C)
武田科学振興財団
向科学技術振興財団
双葉電子記念財団
テレコム先端技術研究支援センター(SCAT)

国際科学技術財団
稲森財団
・公益財団法人日本科学協会 笹川科学研究助成
サントリー生命科学財団
・株式会社リバネス リバネス研究費

内藤記念科学振興財団
公益財団法人ファイザーヘルスリサーチ振興財団
・グラクソ・スミスクライン株式会社 GSKジャパン研究助成
・武田薬品工業株式会社
 医薬研究本部 研究アライアンスグループ  研究公募プログラムCOCKPI-T(コックピット)
ノバルティス科学振興財団

トヨタ財団 公益助成プログラム
旭硝子財団
公益財団法人クリタ水・環境科学振興財団
加藤記念バイオサイエンス振興財団
花王芸術科学財団
LIXIL住生活財団 若手研究助成
矢崎科学技術振興記念財団

野村財団
公益財団法人三菱UFJ信託奨学財団
・住友信託銀行 募集案内一覧(奨学金・研究助成金等)

 各大学でもその膨大な一覧をまとめて公開していますが、早稲田大学UMIN の例を挙げておきます。

2)民間研究費の規模(独自資金と助成金交付)
 実は、日本の研究費の総額にしめる企業研究費の割合は、国や地方自治体のそれを大きく上回る事実があります。

 総務庁統計局の「統計で見る日本の科学技術研究」(平成 26 年版)によると、企業、大学等(各種の独法研究機関を含む)、非営利団体及び公的機関の3つの研究主体の研究費の経時推移は、圧倒的に企業のそれが多く、1994(平成6)〜2013(平成 23)年の間で研究費総額を比較して、企業の研究費総額は大学等の3〜4倍で推移しています。2013 年の金額で、企業の研究費総額は 12 兆 9,620 億円、大学等は 3 兆 6,997 億円です。

 しかし、企業研究費の殆どは自社調達で、学部資金として大学などに供出している金額は総額の2%あまりです(こちらを参照)。それでも、2010(平成 22)年当時で、大学などに拠出された研究費の総額は 3,453 億円。国立大学の運営費交付金の総額1兆円余り、科研費の総額約 2,000 億円、私立大学の私学助成金総額 3,000 億円余りと比べても、総額としてかなりの金額になります。

3)民間研究費の功罪
 民間企業及び企業が併設する財団による研究助成と、民間企業が大学等と共同研究及び寄付など資金供与する場合に、分けて考えます。

 民間研究助成の拡充や在りようの改善を求める声は、小さいながらもあります。
 だいぶ古いデータになりますが、1991(平成3)年(...w)に発表された調査報告で、「日本の民間研究助成の現状と問題点」と題する文献があります。オープンアクセスで誰でも読めます。その主な論点を一部拾ってみると、以下の通りです。
・民間研究助成の持つ意義は、第1に民間公益活動(フィランソロピー)、第2に多元主義、第3に研究資金源の多様化。
・科研費の比較で云うと、科研費は採択率や使途の制限などの限界があるが、民間財団では私立大学への支給が厚めで、使徒も多様である。しかしながら、国立大学、特に旧帝大に支給される比率は高い。
・科研費は全ての学問分野を対象とするが、民間助成は自然科学の応用研究及び開発に支給対象が偏っている。医学や工学に対する支給が厚めで、基礎科学や人文社会系は比較的手薄である。
・助成1件あたりの支給額の大半が 250 万円以下と、比較的少額である。
・科研費獲得実績のない人も、多くが助成金を得ている。
 古い文献ゆえ、現状と合わない面もありますが(例えば使途の制限や対象範囲など)、現在の情勢と照らし合わせて、そう大きく外していない論点もあると思われます。筆者からどれが?とは敢えて申しません。

 他方で、企業側の研究開発費を大学との共同研究に供している事例も少なからずあり、企業の研究部門が大学及び国研と共同研究を行ったり、大学に寄付講座を設置したりする事例も増えてきています。大学側の研究活動を活発化してきている一面もある一方で、大学にとっての学問の自由をどう維持していくか?という学問的自治の問題や、研究成果の発生に伴う知的財産権の管理や運用という新たな問題群の発生、利益相反問題など、新たな悩みの種も出てきています。
 利益相反に関しては、大学等の側も手を打っている場合が増えてきています(東北大東大九州大の例を挙げておきます)。しかし、昨今発覚した各種の研究不正の中に利益相反が関係する事例(ディオバン問題タシグナ問題J-ADNI 問題)があったり、処方薬タミフルにまつわる利益相反の案件があったりなど、研究公正の維持において難しさを感じさせる事例もあります。

 民間の研究費だからといって、直ちに学問的自治や利益相反、知財問題などで大学に悪影響があるというものでもないでしょう。大学の研究費や運営財源の多様化(基金の収入源多様化を含む)は、大学自身の持続可能性を考えれば、必ずしも悪いことではないでしょう。しかし、左記のこうした問題を生じうる実状と、実際に発生した問題を直視しながら、どのように民間の研究資金を獲得し、また社会とどのように相互作用しながら財源と「対外的な知と人の供出」を維持していくかを考えていくことは、今後重要になっていくと思われます。

 シリーズ第4回に続きます。
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2015年09月21日

研究費問題(2);研究費の“選択と集中”

 今年のサイエンスアゴラ・研究問題ワークショップ「本音で語る」では、研究費の問題を取り上げます。
 例年同様、問題群の背景や構造を、私見と腕力の許す範囲で、大雑把に整理してみたいと思います。
 今回はその6回シリーズの2回目です。

 第2回の今回は、日本の研究費制度において昨今その存在感を増している競争的資金と、大学の運営交付金削減の問題について考えます。

1)主な競争的資金
 まず、代表的なものを列挙します。

・科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業
 CREST、ERATO、さきがけ、ACCEL、ACT-C、国際強化支援、ALCA、RISTEX、s-イノベーション、先端計測などいくつかありますが、そのプログラム一覧はこちらのリンクにまとめられています。

・科学技術イノベーション創出基盤構築事業
 JST が窓口になっていますが(こちらを参照)、元々は文部科学省の科学技術振興調整費が改組されたものです。これが「科学技術戦略推進費」となり(こちらも参照)、その後再改組されて、現状のようになりました。

 JST によるもの以外でも、例えば以下のようなものがあります。

・日本医療研究開発機構(AMED) 革新的先端研究開発支援事業
・物質・材料研究機構(NIMS) ナノテクノロジーを活用した環境技術開発
・新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO) 先導的産業技術創出事業(若手研究グラント)
(経済産業省の産業技術研究助成事業から改組)

・厚生労働省 科学研究費
・農林水産省
 研究機関等が応募できる研究資金
 農林水産政策科学研究委託事業
・国土交通省
 建設技術研究開発助成制度
 国土政策関係研究支援事業
・総務省 戦略的情報通信研究開発推進事業(SCOPE)

 日本の研究費に関する動向は、総務庁統計局の「統計でみる日本の科学技術研究」から大づかみに把握できます。

2)運営費交付金の問題
 こうした競争的資金の拡充の一方で、大学に交付される運営交付金は年々削減傾向にあります。
 運営費交付金とは、国立大学の場合、正式には「国立大学法人運営費交付金」と称し、国から大学に支給される大学の予算のことを云います。これをもとに研究費や人件費、各種設備の整備費などに充当されます。
 2004 年の国立大学法人化以降、その運営費交付金は余剰金を次年度に繰り越せるようにこそなりましたが、年々減少の一途を辿っています。その減少幅たるや、毎年前年比1%減。その後も金額ベースでの減少は続いています(2004 年が1兆 2,415 億円、2009 年が1兆 1,695 億円、2014 年が1兆 1,123 億円)。
 尤も、その運営費交付金の支給対象になっている大学も、やはり旧帝大(特に東大と京大)への偏りが以前から云われており、その善し悪しはさておき、科研費と同様の傾向があります。

 データ源としては、以下が参考になるでしょう(古いものも混じっています)。

・筑波大学 削減される国立大学予算
・旺文社 教育情報センター 23 年度 国立大学法人運営費交付金
・文部科学省 資料3-1 国立大学法人の現状等について
・財務省 文教・科学技術予算

 他方で、政策的には、ただ国立大学の運営費交付金を減らすだけでなく、これと併せて、文部科学省側も手を打っています。
 2004(平成 16)年以降、文部科学省は中期目標期間を定めて、国立大学法人改革を進めています。現在はその第2期(2010〜2015 年)の最末期に当たり、第1期(2004〜2009 年)で指導させた国立大学法人の変革を更に加速させようとしています。その中で、「グローバル化」「イノベーション機能強化」「人事・給与システムの弾力化」が推進されてきています。
 大学側も手をこまねいているわけでもなく、大学自身も独自で基金を創設したり、寄付講座の設置や設備寄付の受け入れなど、様々な動きを始めています。しかしながら、各大学の基金が集めることの出来ている金額は、例えばアメリカのハーバード大学やスタンフォード大学、英国のケンブリッジ大学(何れも私立大学)に比べれば、日本の東京大学など吹けば飛ぶようなレベルでしかありません(2015 年現在で東京大学基金の残高は約 104 億円。2014 年の私立大学の慶應義塾大学で寄付金収入が約 81 億円。2012 年現在、左記の英米3大学の基金総額は、ケンブリッジ 8,330 億円、ハーバード 3兆 2,800 億円、スタンフォード1兆 9,040 億円;英米のデータはサイエンスポータルのこちらを参照)。

3)競争的資金が増え、運営交付金が減ると何が問題なのか?
 運営交付金削減の政策は、大学に独自財源での運営を求めているように思われます。
 私立大学の多くは、私学助成金(正式名は私立大学等経常費補助金)の支給を国から受けています。2015 年度の総額は 3,180 億円で、金額ベースでは 2001 年度からほぼ横這い、近年は微減です(2001 年で 3,143 億円、2005 年で 3,293 億円、2009 年で 3,217 億円)。それでも、授業料や入試手数料、寄付金(基金等)などで私立大学の財務は成り立っています。
 但し、国立大学の場合は、大学の年間予算に占める運営費交付金と科研費などの助成金の占める割合が大きく、医学部及びその付属病院を抱える場合の病院の収入(診療報酬や手数料など)がそれに次いでいるという状況で、授業料や入学金収入は私立大学よりも多くない場合が多いようです。

 そうなると、何が起こるか?
 シリーズ第1回でも述べましたが、科研費には間接経費の枠があり、その一部は大学の収入になります。運営費交付金が削減され、社会の少子化で入試手数料や授業料の収入が減るとなれば、科研費の間接経費の増収を本気で考えるでしょう。
 その流れは既に現実のものとなっているようで、一部の国立大学で研究者に科研費のノルマが課されているという話があります(一部では、交付金から支給される研究費を、科研費に応募しなければ減らすというペナルティを課している事例もあるようです;例えば、こちらこちらこちらこちらなど)。ただでさえ、科研費の応募件数が昨今増えている現状がありますが、どうやらその一部は国立大学の応募実績作りの口実という側面をもたらしているようです。
 科研費応募の手間が増えることは、研究者にとって研究や教育にかける手間と時間が減ることを意味します。これが中長期的な研究パワーの低下に結びつくことは、ありそうな話です。

 他方、私立大学でも科研費の申請は昨今増えています。
 科研費申請の手間と時間は、国公立、私立の各大学で大差はないようです。

 かてて加えて、JST や AMED 等の大型予算ともなれば、申請や報告などの書類仕事の負担は否が応にも増すことになります。読者の皆さんは、例えば、JST の戦略的創造研究推進事業の申請書や報告書をご覧になったことがあるでしょうか? それらを作成する手間がどれほどのものか、想像してみて下さい(例えば、JST の戦略的想像研究推進事業の事例は、こちらこちらを参照)。個人が研究の片手間で行うのは、現実的にはほぼ無理です。

 それらの研究費自体は、究極的には国民の税金がもとになって成り立っています。
 それだけに、そうした国費財源の研究費を誠実に使うことの重要性は言を俟たないでしょう。
 しかし、そもそも研究費は研究をするためのお金です。研究をするためのお金をせっかくもらって、肝心の研究が満足に出来なかったとしたら、何のための研究費なのでしょうか?

 他方で、研究資金の提供元は、実は国費以外でもそれなりにあります。
 シリーズ第3回に続きます。
posted by stsfwgjp at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする