なお、今回の企画において、動物実験を以下のように定義します。各種の法規や学会及び大学、研究所などの倫理要項における定義とは異なるので、ご注意下さい。
[定義]その生死を問わず、生物学的に動物と分類される生物の個体の全体、又はそこから直接取り出した一部を用いて、科学研究における仮説の検証や未知の事象の発見、理科教育や高等教育における理解増進、技術習得などの目的で実施される実験の総称。
科学研究の業界や関係者及び支持者、動物実験反対運動の主体及び参画者、どちらにも属さない第3者のそれぞれが上記の定義を必ずしも共有してはいないこと(それどころか、その定義すらきちんとしておらず、若しくは定義する意義すら認識していない場合もあること)も、留意していただければと思います。
昨今、資生堂の動物実験全廃の表明など、色々と情勢が動いています。先日の日本薬学会年会でも動物の皮膚の代用となる実験系の開発に関する発表等があり、代替実験系の開発は一つのトレンドになっているようです。
以前から、生命科学の研究室、研究機関では、倫理規定を適用して、実験内容の審査を倫理委員会に通すことをしています。その他、実験動物の命を無駄に奪うことのないように、使う動物の個体数を最小限で済ませる工夫をしています。それは統計処理の関係や予算の都合などの問題もありますが、科学者の人間としての自然な良心も大なり小なり効いていることでしょう。
学会レベルでもこうした取り組みはあり、日本薬理学会や日本生理学会、日本実験動物学会などでは、動物実験に関する指針をネット上で一般公開しています。
筆者の大学時代の生物実験の実習書に、こんなくだりがありました。
「動物の扱いに慣れよ。動物の死に慣れるな。」
動物実験をしている科学者も人間。生き物のお命を頂戴して自分の仕事をすることには、何がしかのありがたみを感じているはずです。
生命科学の研究においては、生き物の生きた個体やその一部を、生きたまま、またはお命頂戴して“利用”し、生命現象のからくり(機序)やその基盤となる分子、細胞、臓器、組織系を、それぞれの階層で理解する営みが古今長く続けられてきました。
ネズミやモルモットはさておき、歴史的には実験動物を用いた実験の成果が、生命科学の発展に大きく寄与してきました。ヤリイカ、ショウジョウバエ、バッタ、アメフラシ、ゴキブリ、シビレエイ、ナメクジ、タコ、ゼブラフィッシュ、線虫、などなど。どれが何の業績に?の一々には触れませんが、いわゆる愛玩動物には必ずしもならない動物も多くあります。
他方で、先般イタリアのミラノ大学において、動物実験設備に動物実験反対運動家たちが押し入ってこれを占拠し、動物を野外に逃がし、実験設備内のケージのラベルを滅茶苦茶にするという事件がありました(Wired の記事と Nature の記事にリンクします)。こうした事件は、以前から時々あります。
ここまで過激なものは比較的少数ですが、動物実験に対する反対運動は、古今根強くあります。
日本でも幾つかの団体がこうした活動を展開していますが、欧州では古くは 19 世紀初頭のイギリスにおけるものを契機にして、各国へと運動の広がりを見せています。
こうした反対運動の取り組みの中には、一般庶民の情に訴えるようなセンセーショナルなものもあれば、動物実験設備に押し入って破壊的な行動をとる過激なものも一部にあります。一方で、行政や各種企業、学協会、大学、研究機関との対話を地道にねばり強く試みている団体や個人も多くあり、その取り組みに対する内容の評価は一筋縄ではないものの、取り組みの姿勢は誠意あるものといえそうです。
反対運動の詳細については、第2段で触れます。
こうした反対運動の影響もあってか、動物実験に関する規制の動きも、国内外で盛んになってきています。
話は前後しますが、'99 年8月に、イタリアのボロニアにて、「第三回生命科学における代替法と動物使用に関する世界会議」という国際会議が開催され、動物実験の削減(Reduction;用いる動物の数を減らす)、洗練(Refinement;動物に対する非人道的な扱いを減らす)、及び置き換え(Replacement;動物を用いない方法で研究する)の3つを推進していくことが決議されました。この3つを総称して「3R」と云う場合があります。この3Rを提唱したのは、イギリスの生命科学の研究者ラッセル(W. Russel;動物学者)とバーチ(R. Burch;微生物学者)でした(著作は「人道的動物実験手法の原則」(Russell & Burch, 1959))。
先述の各学会における動物実験指針の策定は、この流れの影響を受けてのものと考えられます。
動物実験の負担や苦痛の軽減に関しては、研究者側でも既に取り組みがあります。
上記のラッセルとバーチの著作はさておき、動物実験医学という分野を提唱して研究活動を進めている研究者(大阪大学医学部の動物実験医学教室)や、再生医療の基礎研究において 3R を強く意識なさりながら研究を展開している方(自治医科大学先端治療開発センター)など、個人でも熱心な取り組みがあります。他方、学会・研究所レベルでも、日本動物実験代替法学会や日本血液代替物学会、国立医薬品食品衛生研究所の日本動物実験代替法評価センターなど、幾つかの取り組みがあります。
大学レベルでも、動物実験に関する指針や倫理要項を設けたり、定期的な慰霊祭を実施したりなど、実験に今日する動物達を大切にする姿勢を見せています(秋田大学、神戸大学での取り組みの事例をご紹介しておきます)。
また、冒頭でふれた資生堂の動物実験全廃にあたっては、資生堂の主催で円卓会議が開催され、多様な関係者が一同に集って議論するという営みもありました。CSR 活動の一環として理解できる試みですが、「科学の正しさの追求」と「動物の犠牲の低減ないし廃絶」という異なる価値の衝突を一企業として受け止め、企業の意志決定に結びつけた点では画期的と言えます。ただ、実際の動物実験全廃の意志決定に関しては、一部の反対運動家たちが云うように『運動の勝利』と呼べる一面もあって、運動家たちが“背中を押した”ところもあったのかも知れません。しかし、資生堂の取り組みを冷静に見る限り、実は、資生堂は動物実験の代替法の研究開発を 90 年代から地道に進めており、その積み重ねた成果から判断して、今回の(化粧品の安全性試験としての)動物実験全廃に踏み切ったのではないか。そうも読めるのです。その背景として、欧米の動物実験を巡る情勢を踏まえての経営方針策定などがあったのではないかとも、考えられるのです。
第2段では、賛成派と反対派の対立を取り上げます。