2013年08月04日

動物実験、何が問題なのか(4);論点の整理と主催者の私見

 今年のサイエンスアゴラ出展企画「本音で語る生命倫理--動物実験なぜ必要?なぜ反対?」に関連して、その背景となる事柄を、4回にわたって整理したいと思います。今回はその最終回・4回目です。これまで3つの記事の論点をまとめて、今後の展望を考えてみます。

 第1回では、今回の企画における動物実験の定義を掲げたうえで、動物実験の反対運動と、その影響を受ける科学技術の姿を見てきました。その中で、反対運動にも過激なものと誠意ある地道なものとが混在し、反対運動の動きや社会の情勢に呼応しての研究者業界や政府、企業などの取り組みがあることも取り上げました。
 第2回では、動物実験反対運動の担い手を紹介し、その論旨を整理しました。また、それに対する研究者や一般の市民からの反批判も取り上げ、動物実験の功罪を考える上での入口を作りました。そして、双方の立場には「生き物のいのちを大切にしたい」という根源的な共通認識が存在し、その先の段階で対立があるのでは無いかという仮説を提起しました。
 第3回では、動物実験がもたらした科学の基盤的な知やその応用の幅広さや奥深さを直視し、科学と社会の接点にある陰の部分を考えていく上で、原理的に動物実験やそれに依拠した知と向き合って行かざるを得ないことを見ました。その一方で、科学と社会との接点にある問題として、科学技術倫理という問題群の所在や、なかなか表には見えにくい問題の源泉があることも見ました。

 今回、我々は、動物実験の問題に悩んでいる生命科学者たちを応援する流れを作りたいと思っています。
 科学者の社会的責任論の文脈で、知を生む存在としての科学者が市民に隷属するという図式から、科学者を自由にしたい。科学者も人間であって、生活があり人生がある。その生活や人生の一部が研究であり、知を生むことにより社会に貢献し、社会を豊かにしようとしている。その意味では、人間としては科学コミュニティに属さない市民と対等な存在たりうる。そういう科学者の姿と、その科学者が知と向き合う営み、その営みと社会との接点にある問題、それらを直視する場を作り、新たな流れにつなげたい。
 ここ何年かの科学コミュニケーションにおいて一部で見られる科学者批判の言説には、最近ややうんざりしています。科学者が人間であることを忘れ、科学者の本音を社会が封殺することがある種当然視されてきたきらいもあるかも知れません。その流れを、今回ちょっと変えてみたいとも思っています。

 そうは言っても、社会の中で生きている誰もが、科学の光と陰に、密接に関わって生きています。
 それだけに、科学批判の主体を煙たがったり、その論調に無知蒙昧のレッテルを貼ってフタをしたり、そうしたことを安易には出来ないとも思います。
 今回の動物実験の問題に関して云えば、厳然たる実態として、動物実験は(必ずしも愛玩や人生伴侶の対象になるとは限らない)動物の生やいのちを犠牲にして成り立っている面があり、反対運動の担い手たちはそのことを問題にしています。食物連鎖のことも、現代の文明社会のことも、恐らくは視野に入れた上で、生き物の命を安易に頂戴して良いのかと言っているわけです。
 科学研究の現場においても、理科教育の現場においても、生き物の命を大切にしながらことを行うことが実際には一般的と考えられます。しかしながら、少なからぬ事例において、生き物の命を無駄にしたり、或いは虐待したり、当事者にはそのつもりが無くても傍目には生物の虐待や浪費に見えたりするという場合は残念ながら存在します。
 その問いかけに対して、研究者業界や理科教育の業界、科学コミュニティは誠実に向き合い、答えを出していかなければいけないと思います。

 他方で、動物実験反対運動の担い手たちも、自分たちの主張に対して、心情的に満足出来る答えが得られないからと言って、苛烈に攻撃的なキャンペーンを張るようでは、対話になりません。それはまた、自らの「生き物の命を大切にして欲しい」という願いを共有可能なものにすることを妨げるでしょう。少なくとも、この記事にあるように、明らかな破壊的行為を解放だの救出だのと言っているようでは、社会からの支持は得られないと思います。
 敢えてそのことを述べた言説を挙げなくても良さそうですが、こちらこちらの記事を紹介しておきます。そして、ほぼ全く同じことを動物実験反対運動の担い手の方々の中にも、認識している方がいらっしゃることも一言触れておきます。

 さて、今回のサイエンスアゴラの企画と連動させて、全国規模の一斉調査をしようと考えています。そして、今その調査が準備中です。

・全国の生命科学系の研究室で、動物実験をやっていそうなところ
・動物実験反対の運動をしている方々
・分野不問で学問的な営みに触れている全国の大学院生
...のそれぞれに、アンケートを一斉に送付しようとしています。

 どんな内容かは、後日公開します。
 お送りさせて頂いた皆様におかれては、どうかご協力のほど宜しくお願いします。

 どのくらいの方にご協力頂けるかは全く未知ですが、ご協力頂けるか否かという事実自体にも何らかの意味があると捉えて、今回の調査を実施したいと思っています。
posted by stsfwgjp at 21:38| Comment(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月03日

動物実験、何が問題なのか(3);動物実験をもし止めたら?その余波は?

 今年のサイエンスアゴラ出展企画「本音で語る生命倫理--動物実験なぜ必要?なぜ反対?」に関連して、その背景となる事柄を、4回にわたって整理したいと思います。今回はその3回目です。

 ここは一つ冷静に、生命科学の研究における動物実験の位置づけを考えてみましょう。

 医学や薬学、基礎生物学に限っても、血液循環や免疫、神経系、消化器系、筋肉、皮膚、骨格などの動物の基本構造に関する知識や、細胞の概念、細胞内での各種の代謝など、多くのことが知られています。ミクロにはセントラルドグマ(DNA→RNA→蛋白質)や各種のエネルギー代謝、アミノ酸代謝など分子レベルの現象、サブマクロでは組織レベル、臓器レベル、システムレベル(神経、免疫など)での生理現象、マクロには個体レベルでの各種の行動、身体運動の統制、集団組織内での協調や競争など、多くのことが分かってきました。
 それら基盤的な知識とその応用に依拠して、各種の医薬品や治療法、補助器具の開発や、生活様式の提案などが数多くなされてきました。特に医薬品や治療法の開発にあたっては、どこかの段階でそれらが人体に触れることが不可欠と考えられてきました。同様のことは、食品や化粧品、衣服の染料、玩具や調理器具、食器、特殊な労働環境下における各種物質の安全性評価などについても言えそうです。
 更には、生物の行動やシステムの特徴を抽出して得られた知が、例えばロボットの設計及び製造、各種のコンピューティングや通信技術、情報処理などの基盤となったりしています。
 変わったところでは、環境問題としてのサンゴの白化現象や死滅に対する地球温暖化の影響なども、サンゴを用いた実験から示唆され、それが我々の日常生活に大小の影を落としているという大きな側面もあります。

 化粧品の安全性試験や基礎医学だけが、動物実験を必要としてきた(...と研究者たちは考えてきた)わけでは、必ずしもありません。基礎的な生命科学においても、動物実験や、その実験結果に依拠して成り立っているあらゆる知が、基盤的な知を作ることの支えになっている一面があるのです。

 それを、動物実験無しで実現することが出来るのか?
 基礎的な生命科学の問題(例えば、これとかこれとかこれとか)を、動物実験全面禁止の条件下で、現実的にまたは原理的に、定式化なり解決なりすることが、果たして出来るのでしょうか?

 例えば、特に生化学や分子生物学、分子生理学などの研究を考える時、何かの生体高分子の高次構造や分子機能を調べることを考えてみましょう。目的の高分子、例えば蛋白質の構造や機能を調べるだけなら、今は遺伝子を拾ってきて遺伝子組み換え技術を用いて蛋白質を作らせるという方針がとっさに思いつくところ。しかし、その遺伝子組み換え技術に対する社会の認知や需要はどうでしょう? 必ずしも好意的ではないと思われます。
 恐らく、遺伝子組み換え技術に対するネガティブイメージは根強いものがあります。尤も、医薬品では遺伝子組み換え技術を用いたインスリンや各種ペプチドの注射製剤がすでにかなり出回っていて、多くの患者さんが日常的に使っています。いや、遺伝子組み換え作物の対環境暴露リスクに対する危機感だけが問題にされているなら、良いんですけど…。

 というふうに、周辺の色々なところへと、動物実験という営みに対する批判や反対は、影響して行くわけです。

 生命科学の基盤的な知はもちろんのこと、臨床医療に直結する医科学の分脈や、衣食住の安全に直結する安全性試験の分脈では、むしろ市民の側で動物実験を推進する動きすら実はあります。例えば、こちらの団体の取り組みでは、希少疾病患者支援の一環として、希少疾患のモデル動物を使った研究や、難病患者から採取した体細胞を用いて作成した iPS 細胞による基礎研究や創薬研究の推進などを支援しています。また、こちらに依れば、遺伝子組み替え農作物の普及に反対する文脈で、「遺伝子組み換え作物の毒性を確認するための動物実験は圧倒的に不足」という見解すら出ています。

 動物実験を止めていくという選択をするときには、こうしたことに真っ正面から向き合っていかないといけないのです。
 そして、向き合っていくことには、意味があると筆者は考えます。その結論が「動物実験を全部止めるのは無理だが、止められるものは止めていこう」になったとしても。

 それはなぜか。

 科学や技術の進歩が、人類を幸せにしてきたのか?という問題と、我々はどれだけ向き合えているのでしょうか?

 動物実験の問題を少し離れ、俯瞰して考えてみます。
 科学技術倫理という概念があります。例えば、名古屋大学のこちらを参照して下さい。文部科学省の科学技術基本政策のページにも、こうした記載があります。
 4大公害や薬害、医薬品の重大副作用問題は云うに及ばず、携帯電話やネット通信における個人情報保護の問題、自動改札や SF カードの普及に伴う個人情報の社会的流通の問題(昨今も、こうした事件がありました。関連の解説記事もこちらに)など、にわかには実感し難くも、実は深いところにある構造的な社会問題の源泉はゴロゴロあります。
 それらをイメージしにくい方々は、例えばこちらの本(あのサイエンスアゴラを事実上立ち上げた長神さんの著作「予定不調和」)をお読み頂ければ、“構造的な社会問題の源泉”というものが、おぼろげながらでも見えてくるのではないかと思います。

 動物実験において、同じような“構造的な社会問題の源泉”と言える何かの所在があるのかどうか。現在の筆者にはよく分かりません。
 仮にあったとして、それがどんなリスク(というか危険)を伴うものなのか。そのリスクと利益を天秤にかけると、本当はどうなるのか。そのことをよく考える必要はあるでしょう。

 ただ、このページで批判されているように、動物実験反対運動は「必ずしも当事者でない人が」「命や死と向き合う」がゆえに「欺瞞に陥りやすい」性格はあると思われます(そのことに対する危機意識を、実際の反対運動の担い手の方々は、どれ程認識していらっしゃるでしょうか)。とはいえ、「命や死と向き合う」ことそれ自体は、大いに意味のあることです。
 命と死の問題は、多くの人が垣根を超えて向き合うに、大いに値するテーマです。

 第4段では、全体の論点を整理して、今後の展望を考えます。
posted by stsfwgjp at 20:53| Comment(1) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月02日

動物実験、何が問題なのか(2);賛成派、反対派の対立

 今年のサイエンスアゴラ出展企画「本音で語る生命倫理--動物実験なぜ必要?なぜ反対?」に関連して、その背景となる事柄を、4回にわたって整理したいと思います。今回はその2回目です。

 多くの市民団体や有志、個人などが、動物実験に対して反対ないし批判の声をあげています。
 ざっとその一部を挙げるだけでも、これだけ沢山あります(順不同;反社会的行為を明確に支持するものは除きました)。但し、以下の各サイトが全て一様且つ単純に動物実験に反対しているわけではないことにご留意下さい。

動物実験の廃止を求める会(同会のキャンペーン「ウサギを救え」)
地球生物会議 ALIVE(現在は動物実験廃止・全国ネットワーク(AVA-net)がこれと合併)
アニマルライツセンター(同会のキャンペーン「動物実験はいらない」)
横浜アニマルファミリー
uls 動物実験反対同盟
ヘルプアニマルズ
全ての生命を尊ぶ会
動物実験の法規制を求めるサイト
動物実験の法制度改善を求めるネットワーク
楼猫(サイト内に「動物の権利」)
ホームレス猫 繁殖防止基金(同会のサイト「動物実験に法規制の必要性」)
さよなら、じっけんしつ -脱・動物実験をめざす情報サイト-
空のブログ(動物愛護・アニマルライツとは)
わんのはな
動物実験に手をかさないで!
幸三郎ブログ(例えば、「動物実験賛成って事ですか?」「動物実験賛否両論」など)
LIFE Journey 第36号・動物実験
三橋規宏のホームページ・SOS 地球号
ノーマン・テイラー邦子ブログ「動物の権利と福祉」

 主要な論点を整理すると、概略以下のような感じです。

・不必要に残酷な実験を数多くやっている割には、それが人間にとって殆ど役立っていない。
・人間と他の動物は生理的に異なる点が多く、動物実験での結果を人間に敷衍できないので意味がない。
・動物実験は研究者と産業界にとって、名誉とカネをもたらす巨大産業システムの基盤であり、動物たちはその犠牲になっている。
・医学や獣医学の基礎訓練において、生きた動物を用いた実験は、訓練の受け手に無駄な苦痛を強いる割には、技術取得や理解増進の面で大して効果がない。
・捨てられたペットを動物実験用に供して、残酷な実験をしている事例が多い。

 ただ、その内容に関しては温度差がかなりあります。
 例えば、動物実験に対する反対の立場は明確でなくとも、その規制を必要だと訴える声もあります。同じ動物実験反対の言説でも、何らかの思索を重ねて反対の立場にたどり着いたものもあれば、学術的なことに対する理解は浅くとも、強烈な体験や思いの丈から反対の立場を取っているものもあります。

 他方で、動物実験に反対する見解に対する批判も、以前から幾つかのパターンがあって、大なり小なり説得力をもつ内容だったりします。例えば、俄かに思いつく範囲でも、以下のようなものがあります。

・ネズミやモルモットを殺すのはかわいそうだというけれど、イカやタコ、バッタなどは良いわけ?
・人間も動物だけど、殺しはせずとも人間で実験(治験)せずに医学や薬学の進歩はありうるのか?
・人間は動物の一種。食物連鎖の網の中に人間も居て、動物や植物を食べて生きている。その時に動物を殺して食べているわけだが、食べるために殺すのは良くて、実験で殺すのがダメな理由はあるのか?
・反対している貴殿が勝手に不気味がっているだけでしょ?
・研究者は実は動物の生命を大切にしているが、反対運動家たちはそのことを理解していない。
・動物実験を用いた研究や教育の現場の実態を知らずに反対運動をしている。

 他にもありうると思います。度忘れもあるかもしれません。
 具体的には、こんな感じでやはり沢山あります。一部を以下に列挙します。

へそ曲がり獣医のホームページ(サイト内の「アメリカ実験動物学会・動物実験に関する質疑応答集」も必読)
Concerns on Laboratory Animals
さんかくの野良猫餌やり被害報告(サイト内に「動物実験」の記事あり)
ブタにダイヤ☆(サイト内に「伊藤園、動物実験廃止…微妙な問題」;動物実験反対の立場の方々によるコメントは必読)
新日本科学の実験動物愛護理念(pdf 形式)
日本学術会議「動物実験に対する社会的理解を促進するために(提言)」(pdf 形式)
島根大学・NPO法人 動物実験の廃止を求める会(JAVA)からの生理学実習における動物実験に関する要望書への対応について(→ JAVA 側からの問題提起コメントも参照。)
医学研究における動物実験の必要性について - 神戸大学 医学研究科
高校の実験を動物愛護団体が廃止!これは正しいの…?(Togetter のまとめ記事。JAVA による申し入れの記事を「でっち上げ」と評しています。とは言え、苛烈な運動にひどくお疲れでもあるようです。)
動物愛護団体に言いたい
(罵詈雑言の類多数ですが、その一方で問題の深層を鋭く突いている箇所も一部にあります)

 中には、動物実験反対運動をテロ呼ばわりする過激な論調さえあります(例えばこちら;この記事の著者は、必ずしも実験動物福祉に反対しているわけではなく、むしろその重要性をよく認識している方です)。無論、その過激さゆえに反発もあります(例えば、こちらなど)。

 それぞれをつぶさに見ていると、一見バトルロイヤルのようなぐちゃぐちゃの状況にも見えます。
 ただ、整理してみると、見えてくるものも幾つかあります。

 よくよく見比べてみると、実は動物実験反対派と、(推進の立場を明確にしているか否かを問わず)理科教育や科学研究の現場の方々との間では、「動物のいのちを大切にしたい」という根っこの部分の思いは、内容や程度、形式の違いこそあれ、同じ方向を向いているように思えます。
 そして、動物実験反対派(のうち、形はどうあれ対話を試みている方々)も、理科教育や科学研究の現場の方々も、人類や動物の幸福に、やはり内容や程度、形式の違いこそあれ、思いを馳せていることが分かります。

 では、何が対立を引き起こしているのか。
 それぞれの立場の方々が「動物実験の定義をどう構えているのか(或いはその定義を明確にして議論しているか)」、或いは「動物実験をめぐる諸々の、何に対して違和感や拒否反応を持っているか?」の違いが、その対立の源泉になるように思われます。

 動物実験の思想的背景に関しては、こちらのページが参考になると思います。
 残念ながら、思想的にさほど広く深いとは言いがたい動物実験運動ですが、その国内外の歴史と併せて、倫理学の観点からよく整理されているように読めます。件のページの著者による「動物からの倫理学」という著作もあり、この1冊で思想的背景を把握するには充分でしょう。

 第3段では、動物実験そのものの光と陰に向き合います。
posted by stsfwgjp at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月01日

動物実験、何が問題なのか(1);社会の動向

 今年のサイエンスアゴラ出展企画「本音で語る生命倫理--動物実験なぜ必要?なぜ反対?」に関連して、その背景となる事柄を、4回にわたって整理したいと思います。今回はその1回目です。今回は、動物実験をめぐる社会の動向を整理してみます。

 なお、今回の企画において、動物実験を以下のように定義します。各種の法規や学会及び大学、研究所などの倫理要項における定義とは異なるので、ご注意下さい。

[定義]その生死を問わず、生物学的に動物と分類される生物の個体の全体、又はそこから直接取り出した一部を用いて、科学研究における仮説の検証や未知の事象の発見、理科教育や高等教育における理解増進、技術習得などの目的で実施される実験の総称。

 科学研究の業界や関係者及び支持者、動物実験反対運動の主体及び参画者、どちらにも属さない第3者のそれぞれが上記の定義を必ずしも共有してはいないこと(それどころか、その定義すらきちんとしておらず、若しくは定義する意義すら認識していない場合もあること)も、留意していただければと思います。

 昨今、資生堂の動物実験全廃の表明など、色々と情勢が動いています。先日の日本薬学会年会でも動物の皮膚の代用となる実験系の開発に関する発表等があり、代替実験系の開発は一つのトレンドになっているようです。

 以前から、生命科学の研究室、研究機関では、倫理規定を適用して、実験内容の審査を倫理委員会に通すことをしています。その他、実験動物の命を無駄に奪うことのないように、使う動物の個体数を最小限で済ませる工夫をしています。それは統計処理の関係や予算の都合などの問題もありますが、科学者の人間としての自然な良心も大なり小なり効いていることでしょう。
 学会レベルでもこうした取り組みはあり、日本薬理学会日本生理学会日本実験動物学会などでは、動物実験に関する指針をネット上で一般公開しています。

 筆者の大学時代の生物実験の実習書に、こんなくだりがありました。

「動物の扱いに慣れよ。動物の死に慣れるな。」

 動物実験をしている科学者も人間。生き物のお命を頂戴して自分の仕事をすることには、何がしかのありがたみを感じているはずです。

 生命科学の研究においては、生き物の生きた個体やその一部を、生きたまま、またはお命頂戴して“利用”し、生命現象のからくり(機序)やその基盤となる分子、細胞、臓器、組織系を、それぞれの階層で理解する営みが古今長く続けられてきました。

 ネズミやモルモットはさておき、歴史的には実験動物を用いた実験の成果が、生命科学の発展に大きく寄与してきました。ヤリイカ、ショウジョウバエ、バッタ、アメフラシ、ゴキブリ、シビレエイ、ナメクジ、タコ、ゼブラフィッシュ、線虫、などなど。どれが何の業績に?の一々には触れませんが、いわゆる愛玩動物には必ずしもならない動物も多くあります。

 他方で、先般イタリアのミラノ大学において、動物実験設備に動物実験反対運動家たちが押し入ってこれを占拠し、動物を野外に逃がし、実験設備内のケージのラベルを滅茶苦茶にするという事件がありました(Wired の記事Nature の記事にリンクします)。こうした事件は、以前から時々あります。

 ここまで過激なものは比較的少数ですが、動物実験に対する反対運動は、古今根強くあります。
 日本でも幾つかの団体がこうした活動を展開していますが、欧州では古くは 19 世紀初頭のイギリスにおけるものを契機にして、各国へと運動の広がりを見せています。

 こうした反対運動の取り組みの中には、一般庶民の情に訴えるようなセンセーショナルなものもあれば、動物実験設備に押し入って破壊的な行動をとる過激なものも一部にあります。一方で、行政や各種企業、学協会、大学、研究機関との対話を地道にねばり強く試みている団体や個人も多くあり、その取り組みに対する内容の評価は一筋縄ではないものの、取り組みの姿勢は誠意あるものといえそうです。
 反対運動の詳細については、第2段で触れます。

 こうした反対運動の影響もあってか、動物実験に関する規制の動きも、国内外で盛んになってきています。
 話は前後しますが、'99 年8月に、イタリアのボロニアにて、「第三回生命科学における代替法と動物使用に関する世界会議」という国際会議が開催され、動物実験の削減(Reduction;用いる動物の数を減らす)、洗練(Refinement;動物に対する非人道的な扱いを減らす)、及び置き換え(Replacement;動物を用いない方法で研究する)の3つを推進していくことが決議されました。この3つを総称して「3R」と云う場合があります。この3Rを提唱したのは、イギリスの生命科学の研究者ラッセル(W. Russel;動物学者)とバーチ(R. Burch;微生物学者)でした(著作は「人道的動物実験手法の原則」(Russell & Burch, 1959))。
 先述の各学会における動物実験指針の策定は、この流れの影響を受けてのものと考えられます。

 動物実験の負担や苦痛の軽減に関しては、研究者側でも既に取り組みがあります。
 上記のラッセルとバーチの著作はさておき、動物実験医学という分野を提唱して研究活動を進めている研究者(大阪大学医学部の動物実験医学教室)や、再生医療の基礎研究において 3R を強く意識なさりながら研究を展開している方(自治医科大学先端治療開発センター)など、個人でも熱心な取り組みがあります。他方、学会・研究所レベルでも、日本動物実験代替法学会日本血液代替物学会、国立医薬品食品衛生研究所の日本動物実験代替法評価センターなど、幾つかの取り組みがあります。
 大学レベルでも、動物実験に関する指針や倫理要項を設けたり、定期的な慰霊祭を実施したりなど、実験に今日する動物達を大切にする姿勢を見せています(秋田大学神戸大学での取り組みの事例をご紹介しておきます)。

 また、冒頭でふれた資生堂の動物実験全廃にあたっては、資生堂の主催で円卓会議が開催され、多様な関係者が一同に集って議論するという営みもありました。CSR 活動の一環として理解できる試みですが、「科学の正しさの追求」と「動物の犠牲の低減ないし廃絶」という異なる価値の衝突を一企業として受け止め、企業の意志決定に結びつけた点では画期的と言えます。ただ、実際の動物実験全廃の意志決定に関しては、一部の反対運動家たちが云うように『運動の勝利』と呼べる一面もあって、運動家たちが“背中を押した”ところもあったのかも知れません。しかし、資生堂の取り組みを冷静に見る限り、実は、資生堂は動物実験の代替法の研究開発を 90 年代から地道に進めており、その積み重ねた成果から判断して、今回の(化粧品の安全性試験としての)動物実験全廃に踏み切ったのではないか。そうも読めるのです。その背景として、欧米の動物実験を巡る情勢を踏まえての経営方針策定などがあったのではないかとも、考えられるのです。

 第2段では、賛成派と反対派の対立を取り上げます。
posted by stsfwgjp at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・技術・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする